安藤重能は、家康の信頼厚く紀州藩の付家老とされた安藤直次の嫡男でした。
重能は日頃から、
「武士として度々戦場で手柄を立てても、討死せず長生きするのは特に優れた勇士とはいえない。戦場で討死することこそ本意である」
と語っていたそうです。
大坂夏の陣に臨み、
「一番首と言われれば自分のことだと思ってくれ。一番に討死したと言われても自分のことだと思ってくれ」
といい、日頃からの言葉どおり、敵が待ち構えている陣に真っ先に突撃しようとします。
仲間が、
「敵が待ち構えているところにむざむざ飛び込んでいかない」
といって様子を見る中、重能は、
「敵が待ち構えているところへいくこそ勇士だ」
といい、真っ先に敵陣に駆け込み討死したのでした。
父直次は、軍の指揮をとっていたのですが、そこへ重能討死の知らせが届きます。
直次はそれに動じず、「屍は犬にでも食わせろ」と言いながら指揮を続けたのでした。
しかし戦いが終わった後、直次は息子の死に号泣したといいます。
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