日本史上の復讐や仇討に関連する逸話・雑学

寛永寺の刃傷事件~前田利昌と織田秀親
松の大廊下の刃傷事件から8年後にも朝廷からの使者を迎える際に大名による刃傷事件が起きています。前田利家の子孫である前田利昌が、織田有楽斎の子孫である織田秀親を刺殺した「寛永寺の刃傷事件」です。

増上寺刃傷事件~浅野内匠頭の叔父による事件
江戸城本丸松の大廊下において浅野内匠頭長矩が吉良上野介に斬りつけた刃傷事件の21年前、内匠頭の母方の叔父である内藤和泉守忠勝が起こした刃傷事件について紹介します。

箱根の首討事件~大名同士の争い
四代将軍家綱の時代の寛文年間、江戸で大久保忠朝家臣の小者が主人を殺し、塀を越えて隣の青山幸利の屋敷に逃げ込みました。

赤穂浪士小島喜兵衛と妻
討ち入りした47士以外の赤穂浪士とその妻について「明良洪範」に記載されている逸話を紹介します。

亀山の仇討ち~石井兄弟28年の執念
江戸時代、28年もの歳月をかけて親兄弟の仇を討った「亀山の仇討ち」について紹介します。

長崎喧嘩騒動~赤穂浪士討ち入りの直前にあった討ち入り事件
長崎喧嘩騒動(深堀事件・深堀騒動・高木騒動)は、「忠臣蔵」で知られる元禄赤穂事件の2年前に長崎で発生した集団討ち入り事件です。

「元禄赤穂事件」のその後~大石内蔵助良雄・浅野内匠頭長矩・吉良上野介義央の家はどうなった?子孫は?
「忠臣蔵」で知られる日本史上の有名な事件のひとつ「元禄赤穂事件」の主要人物である大石内蔵助義雄・浅野内匠頭長矩・吉良家上野介義央の家は事件後どうなったのか?また子孫についても紹介します。

崇禅寺馬場仇討事件~返り討ちで命を落とした兄弟
崇禅寺馬場の仇討とは、江戸時代の正徳5年(1715)に大阪で起きた兄弟の仇討ちが失敗に終わり返り討ちに遭った事件です。

桜田門外の変~水戸藩から彦根藩への病気見舞い!?
大老井伊直弼が暗殺された桜田門外の変は水戸の脱藩浪士によって引き起こされましたが、襲われた彦根藩ではなく襲った側の水戸藩の動向にスポットを当ててみたいと思います。

臼井六郎~日本最後の仇討ち!?
今回は日本最後の仇討ちをした人物といわれ、藤原竜也さん主演のテレビドラマ『遺恨あり 明治十三年 最後の仇討』にもなった臼井六郎の人生について紹介します。