日本史上の復讐や仇討に関連する逸話・雑学

崇禅寺馬場仇討事件~返り討ちで命を落とした兄弟
崇禅寺馬場の仇討とは、江戸時代の正徳5年(1715)に大阪で起きた兄弟の仇討ちが失敗に終わり返り討ちに遭った事件です。

桜田門外の変~水戸藩から彦根藩への病気見舞い!?
大老井伊直弼が暗殺された桜田門外の変は水戸の脱藩浪士によって引き起こされましたが、襲われた彦根藩ではなく襲った側の水戸藩の動向にスポットを当ててみたいと思います。

臼井六郎~日本最後の仇討ち
今回は日本最後の仇討ちをした人物といわれ、藤原竜也さん主演のテレビドラマ『遺恨あり 明治十三年 最後の仇討』にもなった臼井六郎の人生について紹介します。

伊奈昭綱~福島正則に切腹に追い込まれた家康の家臣
関ヶ原の戦いの直後、関所の通過を巡り徳川家臣と福島正則の家臣の間で争いが起きたのですが・・・

千代田の刃傷~いじめの復讐
江戸時代にはさまざまな刃傷事件がありましたが、「千代田の刃傷事件」は江戸城内で起きた事件の中でも衝撃的な出来事です。

さいみ党の復讐~天狗党と諸生党の闘争
幕末の水戸藩では天狗党(尊王攘夷派)と諸生党(保守派)に分かれ、血を血で洗う凄惨な争いが繰り広げられましたが・・・

戦国武将の男色事情~信玄の恋文と・・・
戦国大名は正室のほかに多くの側室を持ち世継をえて家を繁栄させようとしましたが、同時に男色も盛んで若い美男子を側近くに揃えていました。甲斐の武田信玄も有名で、しかも春日源助という若い家臣(後の高坂弾正昌信)に宛てたラブレターが残っていますので紹介します。森蘭丸との意外な関係も・・

明治忠臣蔵~加賀本多家家臣の仇討ち事件
日本では、「復讐禁止令」が布告される明治初期まで多くの仇討ち事件がありました。この仇討ちは明治4年(1871)に加賀藩で起きた、「復讐禁止令」布告以前で日本最後の仇討ちと言われている事件です。

孕石主水と家康~家康の逆恨み!?
天正9年(1581年)、家康が武田方の高天神城を攻略した際、敵方の武将のうち、孕石主水という武将だけ切腹させています。逸話では、主水は家康の今川人質時代に、家康の屋敷の隣に住んでいたそうです。主水の子孫まで含めて紹介します。