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【伝説紹介】豊後の赤切大太(平家物語)

 『平家物語』から、九州で平家追討に活躍した「緒方三郎惟義(惟栄)」にまつわる伝説を紹介します。

 平安時代、豊後国(現大分県)の片田舎に一人の寡婦が住み美しい娘を育てていました。そしていつの頃からか、この娘の元へ夜な夜な一人の男が通ってくるようになり、男女の仲になったのです。

 母は娘に男の素性について尋ねますが、娘は
「来るのは見ているが帰りは見ていないので分からない」
と答えます。

 母は考えて、
「ならば、夜明けに帰る時、しるしを付けてみなさい」
と娘に言ったため、娘は言われたとおり、男の帰り際、狩衣の襟首に1本の針を刺し「緒環」という糸を付けて男の帰っていった後をつけることにします。

 すると、糸は伸びに伸びて、豊後と日向(現宮崎県)の境にある姥が嶽の麓の大きな岩屋に達していました。

 辿って行った娘は、岩屋の入口に立つと、
「御姿を見たいと思いわざわざここまで参りました」
と声を上げます。

 すると岩屋の中から、
「我は人間の姿ではない。若し我の形を見れば、恐ろしさに正気を失うだろう。しかし、そなたの腹の中にいる子は男子に相違ない。成長したあと、弓矢打物を取っては、九州に肩を並べる者はいない男となるだろう。」
と声がして、その後は何も言いません。

 そこで娘は重ねて、
「たとえいかなる姿であっても、私たちの関係をお忘れでないならば、今一度互いの姿を見ることができるでしょう。」
と頼むと、中から
「もっともだ。それならば姿を見せよう」
と声がして、なんと・・・・

 頭から尻尾まで14,5丈(4,50メートル)もあろうかと思われる大蛇が天地を揺るがせて出てきたのです。

 あまりの恐ろしさに娘は魂の抜けたように立ち尽くし、十余人いた供の者達は我先にと逃げ出しました。

 よく見れば、明け方の男の帰り際、襟首に刺した針が大蛇の喉笛に突き刺さっており、急所であったようで弱っているようでした。

 娘は悲しさと恐ろしさで、ふらふらになりながら家に帰り着き、そして日を経て子を生みます。

 生まれた子はまさしく男児でしたが、大蛇の子といわれていたので、皆気味悪がって育てようとしませんでした。

 そこで、母方の祖父大太夫が引き取って育てたのですが、すくすくと成長し、7歳の頃には普通の人の15歳位にはなったので、元服させることにしました。

 祖父にちなんで大太と呼ばれることとなった男子は、不思議なことに季節に関係なく手足に赤切れができたので、「赤切大太」と呼ばれるようになりました。

 この赤切大太の5代子孫が、源平合戦時に九州で活躍した緒方三郎惟義(惟栄)とされ、この大蛇は日向の高千穂明神の化身であったとされています。

 ちなみに緒方惟義は、源頼朝に追われた源義経を迎えるため、『荒城の月』で知られる岡城を築城したといわれています。