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【伝説紹介】俵藤太の百足退治

 平将門を討ったことで知られる藤原秀郷は「俵藤太」と呼ばれ、多くの武家が藤太の子孫を称しているとともに、いくつかの伝説も伝わっています。

 今回は、最も有名な伝説「百足退治」を紹介します。

 延喜18年(918)、藤太が瀬田の唐橋にやってくると、橋の上に目から炎を出す大蛇が寝そべっていた。見るからに恐ろしい大蛇だったが、藤太は平然とまたいで通り過ぎた。
まもなく青い着物を着た人が藤太を追ってきて、
「私は橋の上にいた大蛇です。あなたを勇敢な人と見込んで頼みがあります。琵琶湖に二千年の間住んでいますが、最近三上山の大百足に悩まされ、種族も絶えそうになっています。どうかあなたに百足退治をお願いしたいのです」
と必死に頼み込んだ。
 藤太がこれに応じると、琵琶湖の底の竜宮に連れていかれ、歓待を受けた。
 その後、弓矢を手にした藤太は、吹き上がる水柱に運ばれて三上山へ。
 鋭い眼光をもった百足は山を七巻半もぐるりと巻き、火まで吐いている。
 藤太の放つ矢も通じず、さすがの藤太も困ってしまう。
 しかし、「百足は人間のつばに弱い」と思い立ち、矢じりにつばを付けて百足の目を狙って射た。
 すると、さしもの百足も倒れ、ついに退治されたのだった。
 藤太は大蛇から御礼として、いくら食べても尽きない米俵、いくら使っても減らない布一反、大釣り鐘など十種類の宝物を贈られたのだった。なお、釣鐘は三井寺に奉納された。

 以上が百足退治の話ですが、一説には、山を七巻半していた百足は、関東七国半を支配したといわれた平将門の討伐になぞらえたものともいわれています。

 「伝説」は、なぜそんな話ができたのか、なぜ伝わっているのか、何かを比喩したものではないかなど、色々想像できるところが興味深いですね。