日本史上の没落大名に関連する逸話・雑学

朝比奈騒動~大名改易まで及んだ旗本家の惨劇
江戸中期の寛延4年(1751)8月、ある旗本の家で、不義密通に端を発した斬殺事件が起き、その関係で大名が改易されたほか大量の旗本も処分される事態にまで発展しています。

寛永寺の刃傷事件~前田利昌と織田秀親
松の大廊下の刃傷事件から8年後にも朝廷からの使者を迎える際に大名による刃傷事件が起きています。前田利家の子孫である前田利昌が、織田有楽斎の子孫である織田秀親を刺殺した「寛永寺の刃傷事件」です。

増上寺刃傷事件~浅野内匠頭の叔父による事件
江戸城本丸松の大廊下において浅野内匠頭長矩が吉良上野介に斬りつけた刃傷事件の21年前、内匠頭の母方の叔父である内藤和泉守忠勝が起こした刃傷事件について紹介します。

江戸幕府権力者たちの末路
江戸幕府において幕閣の中心として権勢を振るった権力者8名について、それぞれの晩年を紹介します。

宇陀崩れ~織田家国持大名格からの転落
織田信長・信雄の子孫で、大和国宇陀松山藩主だった織田家。信長の子孫ということで、小藩ながら幕府からは各別の待遇を受けていましたが・・・・。

畠山尚順の紀州蜂起~軍費調達の驚くべき手段とは?
畠山尚順は、明応の政変により父政長が自刃した後は紀州に逃れていましたが、驚くべき方法で軍資金を得て宿敵畠山義豊を倒したのですが。

武士の忠義に関する逸話
命を懸けて主君に尽くしたり、利害に関係なく筋を通したりした、真の武士たちに関する逸話を紹介していきます。

関ヶ原の戦いで西軍を裏切った4将~その生涯と子孫はどうなった?
関ヶ原本戦では小早川秀秋ら西軍から東軍に寝返った武将が、東軍の勝利に大きな影響を与えました。ここでは、小早川秀秋と共に寝返った4人の武将の生涯とその子孫について紹介します。

「元禄赤穂事件」のその後~大石内蔵助良雄・浅野内匠頭長矩・吉良上野介義央の家はどうなった?子孫は?
「忠臣蔵」で知られる日本史上の有名な事件のひとつ「元禄赤穂事件」の主要人物である大石内蔵助義雄・浅野内匠頭長矩・吉良家上野介義央の家は事件後どうなったのか?また子孫についても紹介します。

田沼意次の生涯~その晩年と子孫はどうなった?
田沼意次は、江戸時代の中期に10代将軍・家治の側用人から老中になって幕政改革を主導した人物として知られていますが、意次が失脚して老中を退いたあと、どのような晩年を送ったのか、また子孫はどうなったのか紹介します。