平安時代の貴族に関連する逸話・雑学
古事談~藤原道長ら平安貴族の隠された説話とは?
『古事談』は、奈良時代から平安中期にかけての文献や言い伝えから462の話を集め、鎌倉初期に完成したものです。貴族社会の興味深い話が多く、今回はその中から、大河ドラマ「光る君へ」の登場人物に関連する話をいくつか紹介します。
藤原道長の晩年~その最期は幸せだったのか?
現世で栄華・贅沢を極めた藤原道長ですが、その晩年はどうだったのでしょうか?
藤原伊周の子~「悪三位」「荒三位」とよばれた藤原道雅とは?
平安中期、藤原道長との権力争いに敗れた藤原伊周ですが、その嫡男で数々の問題事件を起こし「悪三位」「荒三位」とよばれた藤原道雅の生涯を紹介します。
平安時代の憎めない盗賊の話
今回は、平安時代の「根は悪くない」盗賊の話を2つ紹介します。
平安時代の女盗賊
平安時代、藤原氏が富を集め贅沢な暮らしをする一方、都では盗みが横行していました。今回は女盗賊に関する逸話を紹介します。
紫式部の弟・藤原惟規の子孫~平清盛の盟友藤原邦綱と安徳天皇の乳母藤原輔子
紫式部の弟藤原惟規の子孫は平安末期に名を残しています。今回は惟規の玄孫で平清盛の盟友であった藤原邦綱とその娘で平重衡の妻であった藤原輔子について紹介します。
藤原道長の犬と悪霊左府
『古事談』『宇治拾遺物語』から、藤原道長と安倍晴明、藤原顕光に纏わる呪詛に関する逸話を紹介します。
襲撃事件の伏線!?~花山法皇と藤原隆家の賭けとは!?
藤原隆家による花山院襲撃事件(長徳の変)の原因になったかもしれない、『大鏡』に残る2人の逸話について紹介します。
「七日関白」といわれた藤原道兼〜紫式部との関係は?その子孫は?
「七日関白」といわれた藤原道兼〜紫式部との関係や道兼の子孫がどうなったかについて紹介していきます。
平安京での盗賊対策~下級貴族の場合
平安の都は昼は賑やかなものの日が暮れると静かになり、特に寂れた左京の方は盗賊や追剥がはびこっていました。ある下級貴族の追剥対策について紹介します。