戦国~江戸初期戦国の女城主1~井伊直虎 大河ドラマ「おんな城主直虎」で有名になった女城主です。一族がことごとく戦乱で命を落とし、幼い跡継ぎの井伊直政を養育しながら井伊谷城主として生き抜いています。 2023.02.17戦国~江戸初期
戦国~江戸初期服部半蔵の真実~伊賀者のその後 服部半蔵は、伊賀忍者の頭領として家康に仕えたと思われていますが、微妙に違います。その後の服部家、伊賀忍者、子孫の話まで含めて紹介します。 2023.02.13戦国~江戸初期江戸
幕末~明治鳥居元忠~血天井と鳥居家のその後 鳥居元忠は家康の側近中の側近で、関ヶ原の戦いの前哨戦である伏見城の戦いで玉砕し最後まで家康に忠義を尽くした武将です。関係する血天井に関する逸話や鳥居家の子孫まで含めて紹介します。 2023.02.08幕末~明治戦国~江戸初期江戸
戦国~江戸初期本多正純~宇都宮釣り天井事件 本多正純は、家康の寵臣であった本多正信の嫡男で、父親譲りの才覚を発揮し徳川政権の中枢に昇りつめるも、有名な「宇都宮釣り天井事件」で失脚した大名です。その生涯を子孫も含めて簡単に紹介します・ 2023.01.26戦国~江戸初期
戦国~江戸初期本多正信~家康の謀臣 徳川家康が最も寵愛したものは「雁殿、佐渡殿、お六殿」といわれていました。雁殿は家康が幼少期より好んだ鷹狩り、お六殿は晩年の家康が寵愛した側室の名前、そして佐渡殿が、本多佐渡守正信です。徳川四天王ら歴戦の武功派と異なり、権謀術数で家康の天下取りを支えました。 2023.01.24戦国~江戸初期
戦国~江戸初期家康の伊賀越え 本能寺の変が起きた時、家康は十数名のわずかな供と共に堺を遊覧していました。信長の同盟者で名も知られている家康は、明知勢や落ち武者狩りの農民たちからは格好の標的であり、無事に三河に帰るのは至難の業でした。 2023.01.20戦国~江戸初期
戦国~江戸初期家康の鷹狩り 徳川家康はとにかく鷹狩りが好きであったといいます。家康が秀忠に将軍職を譲った翌年の慶長11年(1606年)に、郊外の鷹場へ鷹狩りに出かけたところ、禁猟区としていたにもかかわらず、付近の農民達が罠をしかけて鳥を採ろうとしていました。 2023.01.18戦国~江戸初期
戦国~江戸初期武田遺臣と家康~徳川家臣となった甲州武者たち 天正10年(1582)、天目山の戦いで勝頼・信勝父子が自害し武田家は滅亡しましたが、家康は少なくとも約800人の武田遺臣を家臣にしており、江戸時代を通じて多くの子孫が活躍しています。 2023.01.16戦国~江戸初期江戸
戦国~江戸初期井伊直政~家臣に恐れられたイケメン武将 井伊直政は徳川四天王の一人に数えられる家康の重臣です。武田家滅亡後は遺臣を直政の直属とされ、その部隊は「井伊の赤備え」と言われ恐れられました。天正18年(1590)には徳川家臣団の中で最高石高の上野国箕輪12万石を与えられます。その生涯について子孫まで含めて簡単に紹介します。 2023.01.13戦国~江戸初期江戸