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家康のどケチ?話

 派手好きで大盤振る舞いをしていた秀吉と正反対で、家康は節約家?どケチ?であったといわれています。ちなみに、女性の好みも秀吉とは対照的に地味な女性を好んだようです(「家康の妻たち」参照)。

 三河時代の鳥居忠吉ら家臣団は貧乏暮らしをしながら蓄財していたといわれ、そのような家風もあったのでしょうか。家康自身、衣類や足袋が擦り切れても大事に使い、漬物の塩味を濃くして城中の食費を節約させたとも。

 ある時、信長から季節外れの桃が送られてきても「珍しいものを好んでいては蓄えや士気にかかわる」と食べなかったといわれます。

 また、家臣の家に立ち寄った際に白米を食べるのを目にすると、途端に機嫌が悪くなったそうです。家康自身も、麦飯と味噌を中心とした粗食を好んでいたといわれます。

 信長や秀吉と比べると、譜代の家臣であっても低い石高に抑えられていますね(御三家等子供たちは高禄ですが(+_+))

 その甲斐もあってか家康が死去した際には、江戸での幕府の金と別に駿府での遺産が約200万両もあったそうです。

 ちなみに、この遺産は本多正純の差配で御三家に分配されましたが、江戸の秀忠には送らずに御三家に分配したことで秀忠の気を損ね、正純改易の遠因の一つになったともいわれています(「宇都宮釣り天井事件」参照)。

 

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