江戸で仙台藩主伊達忠宗(政宗の子)の行列が通行中、江戸城御本丸御台所詰の役人が行列の先頭の中を通り抜けようとして、伊達家の者が取り押さえ、藩邸まで連れ帰った挙句に成敗する事件がありました。
殺された者の組頭が激怒し、老中であった松平信綱に訴え出たところ、信綱は、
小さい大名行列でも通行するのは誰でも分かる。ましてや伊達のような大大名の行列ならば2,3町先からでも分かるもの。その先供の中を通り抜けようとするなど「たわけの一」
また、伊達の屋敷までむざむざと連れていかれたのは「たわけの二」
さらに、もう逃れられぬと分かったならば切死にするべきなのに、むざむざと首を討たれたのは「たわけの三」
そのようなたわけ者は御用の役に立てず生きていても無駄な者である。
といい、訴書を差し戻したのです。
なお差し戻す際、
その者に子がいて、伊達陸奥守を父の仇として討とうとするならば、大孝というべきだろう。存分に狙うよう伝えよ。
と付け加えたといいます。(明良洪範)
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