武田家

戦国~江戸初期

もし武田信玄が長生きしていたら織田信長に勝った?

武田信玄が病に倒れず、そのまま上洛作戦を進めて織田信長と戦ったら!?
戦国~江戸初期

松姫(信松尼)と督姫・貞姫・香具姫~生き延びた武田の姫たち

天正10年(1582)、織田信忠の甲斐侵攻により武田勝頼は自害し武田家は滅ぼされますが、信玄の娘松姫は武田家の幼い姫たちを連れて逃げ延びます。その後の姫たちは・・・
戦国~江戸初期

徳川旗本となった武田一族~その後の武田家

天目山の戦いで勝頼が死に甲斐の戦国大名武田家は滅亡しましたが、その後の武田家は・・・・徳川旗本になった武田一族について紹介します。
江戸

土屋昌恒の子孫~武田家忠臣のその後

天目山の戦いで武田勝頼に最後まで従い「片手千人斬り」の異名を残して死んだ土屋昌恒の子孫は徳川家臣となって江戸時代活躍しています。その後の土屋家と武田家との関係も紹介します。
戦国~江戸初期

戦国武将の男色事情~信玄の恋文と・・・

戦国大名は正室のほかに多くの側室を持ち世継をえて家を繁栄させようとしましたが、同時に男色も盛んで若い美男子を側近くに揃えていました。甲斐の武田信玄も有名で、しかも春日源助という若い家臣(後の高坂弾正昌信)に宛てたラブレターが残っていますので紹介します。森蘭丸との意外な関係も・・
戦国~江戸初期

小山田信茂~「裏切り者」といわれた男

小山田信茂は甲斐武田家滅亡の時、勝頼を最後の最後に裏切った武将として知られていますが・・・・・
戦国~江戸初期

徳川の貧乏侍近藤と大賀弥四郎

三河時代の家康が城外に出た際、田植えする百姓の中に色白い男が混じっていました・・・その後徳川家を揺るがす大事件が・・・
戦国~江戸初期

戦国の女城主3~おつやの方

おつやの方は織田信長の叔母で、夫の死後美濃岩村城の主でしたが、後に武田家臣秋山信友の妻となり、最後には信長から夫共々処刑された女性です。
戦国~江戸初期

武田遺臣と家康~徳川家臣となった甲州武者たち

天正10年(1582)、天目山の戦いで勝頼・信勝父子が自害し武田家は滅亡しましたが、家康は少なくとも約800人の武田遺臣を家臣にしており、江戸時代を通じて多くの子孫が活躍しています。
戦国~江戸初期

孕石主水と家康~家康の逆恨み!?

天正9年(1581年)、家康が武田方の高天神城を攻略した際、敵方の武将のうち、孕石主水という武将だけ切腹させています。逸話では、主水は家康の今川人質時代に、家康の屋敷の隣に住んでいたそうです。主水の子孫まで含めて紹介します。
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