徳川家康・徳川将軍家の家臣に関連する逸話・雑学
江戸幕府~旗本の堕落
戦国の世が終わり、武断政治から文治政治に移っていくにつれ、武士特に徳川旗本の存在意義が薄くなっていきます。幕府、各藩も財政が窮乏する中、先祖伝来の武具は質に流れ、武芸の修練より内職に励み、持参金を目当てに町人、豪農と養子縁組する者も多くいました。「旗本八万騎」ももはや幕府も足手まといになっていきます。
松平定信の生涯~その晩年と子孫はどうなった?
松平定信は、江戸時代後期に、老中首座になって「寛政の改革」を主導した人物として知られています。今回の記事では、定信の生涯と失脚して老中を退いたあと、どのような晩年を送ったのか、また子孫はどうなったのか紹介します。
田沼意次の生涯~その晩年と子孫はどうなった?
田沼意次は、江戸時代の中期に10代将軍・家治の側用人から老中になって幕政改革を主導した人物として知られていますが、意次が失脚して老中を退いたあと、どのような晩年を送ったのか、また子孫はどうなったのか紹介します。
江戸城大奥に関する雑学~実際の大奥はどうだったのか!?
江戸城大奥の事に関しては口外されることなく謎に包まれていましたが、実際に働いていた女中たちが明治になってようやく明らかにしたその実態について紹介していきます。
渡辺守綱~家康が頼りにした武将「槍の半蔵」
「槍の半蔵」とよばれた徳川家臣渡辺守綱の生涯と、その後の子孫について紹介します。
江戸の町奉行所の実態とその終焉
江戸の町奉行所は基本的に北町奉行所と南町奉行所の2つがありました。町奉行所の日常と、戊辰戦争時の官軍への引き渡しについて紹介します。
桜田門外の変~水戸藩から彦根藩への病気見舞い!?
大老井伊直弼が暗殺された桜田門外の変は水戸の脱藩浪士によって引き起こされましたが、襲われた彦根藩ではなく襲った側の水戸藩の動向にスポットを当ててみたいと思います。
江戸・大名の生活~田沼屋敷の女相撲
幕閣で権勢を振るった田沼意知は有能な政治家でしたが、新たに与えられた屋敷で女相撲を始めたのでした・・
稲葉正休と堀田正俊と虎徹~江戸城刺殺事件
貞享元年(1684)、江戸城中で若年寄稲葉正休(まさのり)が大老堀田正俊を刺殺する大事件が起こります。
小松姫(稲姫)~本多忠勝の娘で真田信之の妻であった女性の生涯
小松姫(稲姫)は、徳川家康の重臣本多忠勝の娘で真田信之の妻となった女性です。小松姫が信之に嫁いだのち、どのような人生を送ったのかを紹介します。