飛鳥時代に起こった主な政変、事件を簡単に紹介していきます。
蘇我馬子が物部守屋を滅ぼす(587年)
538年に百済から仏教がもたらされます。渡来した先進技術や仏教受容派(崇仏派)の蘇我氏と、日本古来の伝統を重視する排仏派の物部氏が対立を深め、587年に蘇我馬子が物部守屋を滅ぼしました。
蘇我馬子が崇峻天皇を暗殺(592年)
592年、蘇我馬子が、不仲であった崇峻天皇を暗殺し、豊浦宮(とゆらのみや)で、初めての女性天皇である推古天皇が即位します。一般的にこれ以降が飛鳥時代と区分されています。
冠位十二階の制(603年)
厩戸王(うまやとおう:聖徳太子)らによって603年に制定されます。12の階級に色別の冠を授け、世襲制度ではない人材登用の道を開いた制度として知られていますね。
憲法17条制定(604年)
厩戸王らによって604年に制定され、諸豪族に対する政治的服務規程や道徳的訓戒といった意味を持ちます。
冠位十二階の制と憲法17条の制定は、隋と交際するため、文明国家としての体裁を整える目的を持っていたとされています。
遣隋使派遣(600・607年)
600年の派遣に続いて、607年には小野妹子が遣隋使として派遣されますが、朝貢形式であった倭の五王時代と異なり、中国皇帝に臣属しない形式を取りました。
蘇我入鹿が山背大兄王を滅ぼす(643年)
643年、蘇我入鹿が山背大兄王(やましろのおおえのおう:聖徳太子の子)一族を滅ぼして権力を握ります。
大化の改新(645年:大化元年)
645年(大化元年)、中大兄皇子(なかのおおえのみこ)が中臣鎌足(なかとみのかまたり)らとともに蘇我入鹿を暗殺します(乙巳の変:いっしのへん)。孝徳天皇の皇太子となった中大兄皇子主導のもと、都を飛鳥から難波に移して改革が進められました。
翌646年正月には「改新の詔」が出され、戸籍制度、公地公民制へ移行しくこととなりました。
白村江の戦い(663:天智天皇2年)
朝鮮半島で660年に滅ぼされた百済復興を支援するため、663年に倭軍が派遣されましたが、唐・新羅連合軍に大敗していまいます。敗戦を受けて防衛体制を整えるため防人が置かれ、水城や大野城も築かれました。更に都も667年に近江大津宮に移されました。
壬申の乱(672:天武天皇元年)
671年に天智天皇(中大兄皇子)が亡くなると、翌672年に天智天皇の弟大海人皇子(おおあまのみこ)と天智天皇の子大友皇子の間で皇位継承を巡る戦い(壬申の乱)が起き、大海人皇子が勝利して即位、天武天皇となり飛鳥浄御原宮に遷都しました。
藤原京に遷都(684:持統天皇8年)
天武天皇の跡を継いだ皇后の持統天皇はその政策を引き継いで改革を進め、694年には藤原京に遷都しました。
大宝律令制定(701:大宝元年)
大宝元年(701年)、刑部親王や藤原不比等らによって大宝律令が制定され、律令制度による政治の仕組みが整いました。(律~刑事関係)(令~行政関係)
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