畠山尚順(ひさのぶ)は、応仁の乱で畠山義就(総州家)と争った政長(尾州家)の子で、明応の政変により父政長が自刃した後は紀州に逃れていました。
その後反撃に転じ、総州家の畠山義豊を倒しますが、今回は『足利季世記』『応仁後記』などに記されている、その反撃の「軍費調達」に関する逸話を紹介します。
軍費調達の逸話
堺のある商家の主人が、商売のため長期間高麗へ渡っていました。
その妻は、夫の長期不在に乗じ、夜な夜な間男を自宅に引き入れ不倫していたのです。
ある晩、木沢という商人の男がこの商家の前を歩いていたところ、木沢の下駄の音を間男が戸を叩く音と勘違いした妻が、暗闇の中戸を開けて木沢の手を取り引き入れてしまいます。
暗闇の中、家の中まで引き入れると、すぐに人違いに気付きますが、木沢はその妻の様子から事情に気付き、妻に対し、
「私はそなたの夫と旧知の間柄であるので、高麗から戻ってきたときにそなたの所業を伝える」
と言い放ちます。
妻は、「どうか黙っておいてください」と、家の中から金品を持ち出して木沢に渡し懇願しますが、木沢は金品を突き返し応じませんでした。
ただ、木沢は家の中から、妻に分からぬよう笛だけを持ち出していました。
それからしばらく経ち、商家の主人が高麗から帰ってくるとの知らせが妻の元へ届きます。
そこで妻が家の中を整理していると、主人が大事にしていた笛だけがどうしても見つかりません。
必死になって探していたところ、下女の一人が
「その笛でしたら、いつぞやの晩の折にあの男が取っていきました」
と答え、木沢が持ち去っていたことが判明したのです。
妻は木沢の所在について方々を探し、ようやく会うことができましたが、木沢は、
「この笛はあの晩のできごとの証拠だ。お前のことについては主人が帰ってきたら包み隠さず伝えるであろう」
と答え笛も返さなかったのです。
妻は狼狽し、実家の父に事の次第を告白します。
実は妻の父も商家の主で堺有数の富豪だったのですが、驚いて木沢の元を訪ね、
「娘のことを告げられたら、娘の命も危ういし、我が一族もとんでもない恥をかき面目を失うことになってしまいます。どうか黙っておいてください。黙っておいてくだされば、どんな御礼でもいたします」
と必死に懇願したのです。
すると木沢は、
「それならば真実を伝えよう。それがし今は商人の身になっているが、実は畠山尚順の家臣であった。
主家の恩に報いるため、河内の畠山義豊を討とうと志しているが、当家の他の家臣達も浪人し困窮する者が多く、一陣の戦費さえもままならない。
何とかできないか日々苦悶しているところであった。しかれば、我らが義豊との合戦に及ぶ際、是非その費用兵糧を出してもらいたい」
と告げたのです。
父は木沢の志に感銘するとともに、娘の命もかかっていましたから、喜んでその申し出に応じることにします。
木沢はそれならばと笛を返し、その後畠山家臣たちに触れ回って大軍を整え、紀州に逃れていた尚順を大将に迎えます。
妻の父は約束通り軍費を支度し、ついに尚順軍は蜂起して義豊軍を破るに至ったとそうです。
また、高屋城もこの時の援助で築きなおされたとされています。
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