今回はサンドウィッチマン伊達みきおさんの先祖(伊達政宗じゃないよ)に関係する話です。
伊達家相続の危機
伊達政宗を初代とする仙台藩主伊達斉義は伊達一族の田村家の生まれでしたが、文政2年(1819)に伊達家先代の伊達斉宗が跡継ぎのいないまま若死したため、斉宗の娘(芝姫3歳)の婿となり末期養子として伊達家を相続していました。
しかし、文政10年(1827)に斉義もわずか29歳で病死してしまいます。
側室が生んだ息子(後の慶邦)がいましたが、幼少で御目見が済んでおらず幕府に正式な跡継ぎと認められていなかったため、伊達家では斉義の死を秘して後継者選びを進めたようです。(※江戸初期と異なり、この時代になると死後の養子も暗黙の了解で末期養子として認められやすくなっていました)
子沢山将軍徳川家斉
このことを密かに耳にした徳川11代将軍家斉は、自分の子供の一人を、まだ子供のまま未亡人になった芝姫と婚姻させ斉義の跡継ぎとし伊達家を相続させようと考えます。
家斉は歴代将軍の中でも突出して多い男女合わせて53人もの子供を作っており、行き場のない子供を積極的に諸大名の跡取りや正室として送り込んでいました。
将軍の子を跡継ぎとしたり奥方として迎えるのは一見名誉なことと思われますが、各大名家からすると、本来跡継ぎとなれる一族の男子がいるのにもかかわらず徳川家の血筋に乗っ取られることになり、また、婚姻のために莫大な支出や手間を伴うことから、喜ばしいことばかりではなく内心敬遠されていたようです。
そんなことはお構いなく、家斉は内々に老中の水野忠成にその意を伝え、水野は直ちに仙台藩から江戸家老を呼び出します。
大條道直の抵抗
伊達家を代表してやってきたのは伊達家一門の大條道直でしたが、まだ二十歳そこらの若年であったようで、水野は厳かに将軍の意を伝え
「将軍家の御子を迎えることは、これ以上の栄誉はないことである。帰って他の家老達にもよく伝えて受け入れるように」
と言い諭したといわれます。
将軍の意を含んだ幕閣最高権力者の言葉ですので、通常は畏まって慌てて藩邸に走り帰るところです。
ところが大條は怪訝な顔をして、
「おそれながら妙な話でござる。旧来から当藩においては、養母と養子を夫婦とした例などございません。人倫に反することですのでいかがしたものかと。」
と何食わぬ顔で老中に答えたといいます。
確かに、跡継ぎとなるには斉義の養子となるので、いくら幼いといっても斉義の妻である芝姫とは母と子の関係になってしまいます。
若い大條に正論で言い負かされた水野は席を蹴って退出したそうです。大條は藩邸に帰ると急いで重臣を集め、斉義の従兄弟斉邦を跡継ぎと決定して幕府に届け出て、伊達家の血脈を守ったといわれています。
斉義の死を秘したままの密室でのやり取りであるため事実であったのかは誰にも分かりませんが、将軍家斉の子供押し付けに諸大名家が迷惑していたことを表すエピソードではないでしょうか(>_<)
サンドウィッチマン伊達みきおさんの先祖
この話の主人公大條道直の跡を継いだ弟大條道冾の来孫(孫の曽孫)がお笑いタレントのサンドウィッチマン伊達みきおさんです。
大條家は元々伊達家の一族で、明治時代になってから大條から伊達に復姓しています。みきおさんの曽祖父は検事、祖父も父も銀行幹部だったそうで、先祖代々頭の切れる家系なんでしょうね(*^_^*)
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