2024年大河ドラマ「光る君へ」の主人公紫式部の家族について簡単に紹介します。
紫式部の家系(先祖)
6代前が藤原北家を隆興させた左大臣藤原冬嗣であり、藤原道長と祖を同じくしています。
曾祖父藤原兼輔は三十六歌仙の一人である有名な歌人で、祖父藤原雅正も歌人であり、代々文学の才能に秀でた家系でありました。
一族の多くが勅撰和歌集に名を残しています。

紫式部の父 藤原為時
「光る君へ」では岸谷五朗さんが演じます。
大学の文章生の出身で菅原文時(菅原道真の孫)にも師事し、文人官僚としての経歴を重ねて、長徳2年にようやく越前守となっています。
越前守任命の経緯は有名なエピソードです。為時は長年国司の職を望んでいましたがなかなか任命されず、ようやく任命されたのが小国の淡路守であったため、
「苦学寒夜 紅涙霑襟 除目後朝 蒼天在眼」
(長年血の滲むような努力をして学問に励んできたが、望む役を得られず青空さえむなしく映り嘆息している。望む役を与えられれば・・・といった感じでしょうか)
との句を詠んだところ、天皇や藤原道長の目に留まり、大国の越前守に役が代わったというものです。多くの書物に残るエピソードのため、事実であろうと思われます。
為時は長和5年に園城寺で出家したそうですが、娘の式部と息子惟規が死去したためともいわれています。愛情深い父親だったのではないでしょうか。
紫式部の母 藤原為信女
「光る君へ」では国仲涼子さんが「ちやは」という架空の名で演じます。
母親は藤原為信の娘とされていますが、その生涯はよくわかっていません。堅子という名であったとも。式部の日記や歌集には母のことが残されていないことから、式部が幼いころに死去していたといわれます。
源氏物語でも、光源氏をはじめ幼いころに母を亡くしている登場人物も多く、式部自身を投影させていたのかもしれません。
母方の家系も藤原冬嗣の子孫であり、父方と同族になります。
紫式部の弟 藤原惟規(のぶのり)
「光る君へ」では高杉真宙さんが演じます。
母は式部と同じで、弟ではなく兄ともいわれます。父為時が式部を惟規と比べて「この子が男であったなら」と嘆息したのは有名ですが、惟規も決して凡庸な人物ではなく、各勅撰集にも作を残す優れた歌人でした。
好色家であったようで、「藤原惟規は世のすきものなりけり」と記された書もあります。
ある時、斎院という皇女に仕える女房の所へ忍び込んだ惟規が、警備の侍に見つかって名を問われるも隠れて応えなかったために、門を閉ざされて閉じ込められたそうです。結局女房が斎院に願い出て門を開けてもらい出ることができたそうですが、その際に
かみ垣は 木のまろどのに あらねども
名のりをせねば 人とがめけり
(斎院のお住まいであるかみ垣は、人々に名乗って入らせたという天智天皇の木の丸御殿ではないけれども、名乗らなかったことで咎められてしまった・・・)
との歌を詠んで斎院に感心されたと伝わります。
寛弘8年、父為時が越後守として赴任した際に付いていきましたが、同地で病により没したそうです。
死の床で、辞世の句
みやこにも わびしきひとの あまたあれば
なおこのたびは いかむとぞおもふ
(都には親しい人が多くいるので生きて帰りたい・・)
を書き残しますが、最後の文字「ふ」を書けずに息絶えてしまったため、父為時が書き加えて形見としました。為時はこれを度々取り出して見ては涙していたといいます。
そのほか、式部には姉や弟がいたともいわれます。姉は嫁いだ後に早世し、弟の一人は惟道という名で、もう一人は僧となって定選阿闍梨と称したと伝わります。



新着記事