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平安時代の女盗賊

 平安末期の話です。ある夜、都のある屋敷に盗賊集団が入りました。その家の家人に勇敢な男がいて盗賊らと戦っていましたが、戦っているうちに自然と盗賊団の中に紛れ込みました。

 戦っても相手全てを倒すことはできないため、盗賊団に紛れ込み一緒に引き上げて、盗賊の顔やねぐらを確認しようと思ったのです。

 家人の男は、金品を強奪し引き上げる盗賊団に紛れ込むことに成功し、盗賊団は朱雀門辺りまで逃げると、そこで盗品が山分けされました。

 盗賊の首領らしき者は、非常になまめかしく、声や立ち姿も立派で、胴腹巻を付け左右の腕には小手をはめ、緋色の袖くくりのついた直垂に袴を高く括りあげ、長刀を持っており、24,5歳位の男に見えました。

 盗品が山分けされると盗賊たちは各々帰っていきましたが、屋敷の家人はこの首領らしき男の行方を突き止めようと尾行していくことにしたのです。

 家人の男はしばらく付けていったのですが、検非違使別当(長官)の屋敷辺りで見失ってしまい、やむなく帰りました。

 翌朝、男が再度首領を見失った辺りに行き調べてみると、首領の男が怪我をしていたのか、道の所々に血痕があったのです。その血痕は検非違使別当の門の前まで続いていたので、首領はこの邸に関係するに違いないと思い、帰って主人に報告したのでした。

 報告を受けた主人は別当と知り合いだったため、すぐにこの屋敷に行って事の次第を別当に伝えたのです。

 別当は驚き、すぐに寝殿の中を調べますが、特におかしな所は見当たりません。しかし、血痕が女房達の住む局に続いていたのが見つかりました。

 別当は、女房達の中に盗賊を匿っている者がいるに違いないと思って、女房達を呼んで取り調べることにしました。

 しかし、大納言殿と呼ばれていた身分の高い一人の女房だけが、風邪気味だといって出てきません。

 怪しんだ別当が、その女房の所を調べると、何と血の付いた小袖が出てきたのです。いよいよ怪しいと、敷板まで剥がして調べたところ、盗賊を尾けた男が言った通り、胴腹巻や、緋色の袖くくりのついた直垂のほか、盗品も発見されました。

 さらにお面もあり、この女盗賊は盗みの時にお面を付けて犯行に及んでいたのでした。

 別当は大そう驚き呆れ、すぐに役人に命じて女を牢に入れることにしましたが、噂を聞いた見物人が大勢集まり身動きもできない位になったといいます。

 頬被りを外して顔を晒したたまま連れて行ったので、見ていた人々は同情したそうですが、27,8歳位のほっそりとした美しい女性で、身の丈、髪の様子なども悪いところはなく優美な姿であったといいます。

 その後この女盗賊の処分がどうなったのかは分かりませんが、この時代には盗賊に関する逸話が多く残されています。

 藤原氏が富を集め贅沢な暮らしをしていた一方、盗賊に関する話の多さは、貧富の差が大きく、庶民は貧しい暮らしで日々の生活に苦労していたことを表しているのではないでしょうか。

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