江戸中期の明和、安永の頃(1764~1781)、江戸では「小便組」というものが流行ったといわれています。
この小便組と呼ばれたのは美人ばかりの集団であったそうで、口入屋(職業斡旋業)などを通して旗本や大きな商家主人の妾となった美女が、主人と床を共にするとたびたび寝小便をしたそうです。
いくら美女でも寝小便ばかりするのでついには暇を取らせることになるのですが、一旦妾となっているので支度金は返さなかったそうで、小便組の女たちはこれを繰り返して荒稼ぎしていたのです。
内容が内容なだけに外聞もあって主人側も内々に済ませていたようで、なんと20年位は流行ったといわれます。
完全なビジネスモデル?を確立したかに思えた小便組の美女たちですが、ついには終わりの時が来ます。
ある主人が、妾の寝小便を直そうと医者に相談した結果、寝小便をするたびに、鶏卵大の大きなお灸をすえたそうです。小便組のやり口に気付いていたのでしょうか(>_<)
妾はその辛さに耐えられず、ついには寝小便をすることがなくなったといいます。
他の主人たちもそれを真似して、治療として巨大なお灸をすえるようになったところ、ついには寝小便をする美女はいなくなり、小便組は消滅してしまったそうです(*_*;
参考文献
国立国会図書館デジタルコレクション
『お大名の話』(三田村鳶魚著:雄山閣)
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