明和年間で江戸一の美女といわれたのが笠森お仙です。宝暦元年(1751)の生まれで、江戸谷中の笠森稲荷門前茶屋「鍵屋」の茶くみ(接客)をしていた看板娘であったそうです。
笠森稲荷は、性病にもご利益があるとされていたので、江戸の男達がこぞって参拝していたところ(>_<)、門前茶屋に美女がいると評判になったのです。
愛嬌も度胸もあったといわれ、あまりの評判に浮世絵のモデルとされて、ますます評判を呼び、更にはお仙を題材とした歌が作られ、手ぬぐいや絵双紙、双六などのグッズまで販売されるようになります。
豊原国周『善悪三拾六美人 笠森お仙』. 国立国会図書館デジタルコレクション
お仙見たさに笠森稲荷への参拝客も大幅に増えていた人気絶頂の明和7年(1770)のある日、突然お仙が姿を消します。
講談的には神隠しや心中といったところでしょうが、実は幕府御庭番であった旗本倉地政之助に嫁いだのでした。
政之助は笠森稲荷の地主であったともいわれ、政之助もお仙のファンの一人であったに違いありません。
町人であるお仙はそのまま旗本に嫁ぐことはできませんので、一旦政之助の同僚の旗本馬場信富(甲斐武田家重臣馬場信春の弟信頼の子孫)の養女となり婚姻しているようです。
もちろん、笠森稲荷の参拝客は激減してしまったそうです(ノД`)・゜・。
政之助は御庭番(幕府隠密)でしたが、寛政6年(1794)には御金奉行にまで出世しています。また、お仙との間に9人の子を作っているようで、お仙のおかげか公私ともに順調だったようですね。
お仙は77歳で文政10年(1827)に亡くなりましたが、平穏で幸せな生涯であったということです。
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