PR

襲撃事件の伏線!?~花山法皇と藤原隆家の賭けとは!?

 花山法皇と藤原隆家といえば、隆家の兄伊周が、花山法皇を恋敵と勘違いし、隆家が従者を引き連れ法皇に矢を射かけたとされる「長徳の変」が有名ですが、2人の間にあった変な「賭け」について、『大鏡』に残る逸話を紹介します。

 「はなやぎたまへりしをり」(隆家の権勢が華やかだったころ)、隆家と花山法皇が賭け事をしていたそうです。おそらく長徳の変の前でしょう。

 ある時法皇が、

「いくらそなたでも我が御所の門前を「乗り打ち」(乗物に乗ったまま通ること)することはできまい」

と言ったため、隆家は、

「どうして通れぬことがありましょう。」

と答え、通れるかどうかの賭けとなり、通過する日時を決めたそうです。

 その後隆家は、頑丈な車輪を付けた御車に優れた車牛を繋いで、烏帽子や装束も派手なものにするように準備させます。

 そして約束の期日になったのですが、隆家は、車の御簾を上げさせて足を出して腰掛け、行列の5,60人の雑色らに先払いの掛け声をかけさせながら進行してきたのです。

 一方の花山法皇側は、強壮な法師ら7,80人に大きな石や5,6尺ばかりの杖などを持たせて御所の周りに並ばせ、さらに御所内にも強力の法師らを備えさせたのでした。

 日頃から騒ぎ事が好きな者達が喜び勇んで集まり、双方とも石や杖を準備したそのでしたが、さすがに本物の弓矢まではなかったそうです。

 隆家は車を御所の門近くまで進めますが、御所の周りには法皇が並べさせた法師らが陣取っており、双方しばらくにらみ合いの時が続きます。

 結局、隆家は門前を通るのを諦めて、しぶしぶ引き返したのでした。

 御所の法師たちは「あれはやり返しにくるな」といいながら一斉にどっと笑って、法皇も得意顔となったそうです。

 後で隆家も、

「さすが法皇の威光はたいしたものだった。つまらぬことを言い出して、とんだ恥をかいてしまった」

と笑っていたといいます。

 この逸話が史実だとすると、襲撃事件の原因の一つになったのではないでしょうか?隆家にとっては、悪乗りの延長か、そのとも恥をかかされた復讐か分かりませんが・・・・