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万石事件~どうしても大名になりたかった・・・浜名湖面の幻の堀江県

 万石事件とは、明治時代初期に石高の虚偽申告が発覚して堀江県知事(旧堀江藩知藩事)であった大沢基寿が処罰され堀江県が消滅し浜松県(現静岡県)に吸収された事件です。

高家大沢家とは

 最初に事件の当事者である大沢基寿の先祖について説明します。大沢家は藤原北家持明院流の流れを汲み、南北朝時代に遠江国堀江に城を築き丹波国から移ってきたと伝わっています。戦国時代は今川家に仕えていましたが、永禄12年(1569)に遠江国に侵攻してきた徳川家康に降伏し、その配下となっています。

 江戸時代初期の当主大沢基宿は、吉良義弥(忠臣蔵で有名な吉良上野介義央の祖父)とともに「高家」の職務を最初に務めたといわれています。基宿の母は木寺宮という皇族の出身なので、その家柄が関係していたようです。その後大沢家は幕末まで数度の加増を受け、明治維新時の石高は3550石となっています(実高は5485石)。

 大沢基寿も、先祖同様に高家職を務め、官位は従四位下侍従に昇っています。基寿の身分は旗本でしたが、従四位下という官位は岡山藩主池田家や萩藩主毛利家などの国持大名と同等のものでした。この家柄によるプライドが後の偽装を起こしたのかも・・・

 ちなみに基寿は、皇女和宮の降嫁に際してはその付添役を務め、慶応3年(1867)10月14日、15代将軍徳川慶喜による大政奉還の上奏文を御所に提出する役目を果たしています。

万石事件

石高偽装による堀江藩誕生

 明治新政府は1万石以上の大名は「華族」とする方針を出します。大沢家は3550石(実高でも5485石)であったので、華族ではなく士族ということになりますが・・・・

 どうしても大名(華族)になりたかった基寿は、明治元年(1868)8月に新政府に提出した検地報告で、なんと浜名湖面の開墾予定地4521石を含めた石高を計上し、都合1万6石となる虚偽の報告を行ったのです。

 維新直後のごたごたで多忙を極めていた新政府はろくに調査をせず、額面通りに受け取った結果、堀江領は1万石以上と認められて基寿は念願の大名となったのです。大名ということは当然華族の身分も得ることができました。

 版籍奉還で基寿は堀江藩知事になりますが、基寿は浜名湖の干拓計画を急いで進め(偽装がバレるのを恐れたのでしょうか)たほか、なんと、、、藩札(紙幣)まで発行しています。(゚д゚)!

 明治4年(1871)7月の廃藩置県で堀江県が置かれると、基寿はそのまま県知事に任命されたのです。

偽装の発覚と堀江県の処分

 しかし、このような無茶な不正が発覚しないわけがありません。怪しんだ新政府が再調査を実施した結果、虚偽の報告が露見することになりました。

元堀江県知事 大沢基寿
右ノ者儀藩屏列出願ノ節旧臣トモ任申出篤ト事実取糾モ不致旧領先海面等開墾見込迄ノ地ヲ詰込壱万石余ノ高附帳為差出遂二願通被仰付猶上地二相成候場合虚飾ノ高帳為差出候段不埒二付士族二下シ禁固一年申付ル(静岡県史料)

 基寿は虚偽報告の罪を咎められ、県知事でなくなったどころか華族から士族へ降格となった上、禁固1年の処罰を受けます。(従四位下の位階も剥奪されています)

 家臣に任せていたとされていますが、石高を倍に偽装することを主が知らなかったはずはありません。

 実際に虚偽申告を行ったとされる重臣たちも禁固1年半などの処分を受けます。結果、同年11月に堀江県は消滅し浜松県に吸収されたのです。堀江県はわずか4カ月だけ存在した幻の県となったのでした。

 大沢家の家臣にあってはさらにみじめで、翌明治5年に収入を得るため農・商業に従事することとなった大沢家臣の士族、足軽が手当を浜松県に申請したのですが、調査された結果、これまで貰っていた手当と相殺され逆に少額返納しなければならない調査結果となってしまい、困窮に拍車をかけてしまったそうです。

 ちなみに基寿は東京に移住し、明治20年頃に出された雑誌の中で「高家の話」として大沢家の歴史や幕末期の活躍を詳細に述べていますが、なぜか万石事件のことは一切触れていないようです((-_-))

 東京での基寿は生活に困窮し、一時堀江に戻って住民に援助を頼むなどしていたようですが、明治44年(1911)に東京で死去しています。

やっぱり大名になりたい・・・

 余談ですが、江戸時代旗本最高禄の9500石を知行した横田家(武田遺臣横田尹松の子孫)も大名(華族)になることを狙い、高直しで1万石以上になったと新政府に大名昇格願いを4回にわたって提出しましたが、結局は不許可に終わって、士族のままだったそうです。あと500石あれば華族になれたはずなのに、残念でたまらない気持ちはなんだかわかりますね(^_^;)

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