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仁徳天皇~逸話と大仙古墳

 世界三大墳墓の一つとされ面積で世界一を誇る大仙古墳(大阪府堺市)は仁徳天皇の陵墓とされていますね(実際の埋葬者ははっきりとしませんが・・・・・)。仁徳天皇にまつわる逸話を紹介したいと思います。

民のかまど

 仁徳天皇は慈悲深い人物であったといわれ、高台に登って四方を見渡したときに家々から炊煙が立っていないのを見て民が貧しい暮らしをしていることに気付き、自分の暮らしが貧しくなっても3年間税や労役を免除し民の暮らしも豊かになったとの伝説があります。

 労役の免除と巨大墳墓の造営とは矛盾するともいわれますが、文明が未発達であった古代日本において人類史に残る巨大墳墓を建造した?とすれば、相当な勢力を誇った人物であったことは間違いないでしょう。

仁徳天皇の后

 もう一つエピソードを紹介します。
 仁徳天皇には磐姫という皇后がいましたが、八田皇女という美しい姫に心惹かれ后として迎えようとします。

 天皇は女性を弓の弦に例えて、「本物が切れたときに使う備えの弦を用意したい」と皇后に言ったそうですが、皇后はそれを許しませんでした。

 ところが皇后が紀伊国に出かけている間に八田皇女を宮中に入れたため、皇后は激怒し、天皇が何度迎えの使いをやっても帰ってこなかったといいます。

 皇后の嫉妬を恐れ八田皇女を迎えることはできませんでしたが、皇后の没後に結局后として迎え入れたそうです。

大仙古墳(伝仁徳天皇陵)

 なお、大仙古墳は天皇陵であるため宮内庁が管理し発掘調査は行われていないため、未だ謎に包まれており今後の新たな発見も期待されます。

 しかし江戸時代の書物に、仁徳天皇陵の石棺の蓋が堺奉行所の踏石に使われているとの記述があり、残念ながら他の古墳同様盗掘被害に遭っている可能性もあります。