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田沼意次の大志

 江戸時代後期に肥前国平戸藩第9代藩主の松浦清(号は静山)により書かれた『甲子夜話』から、田沼意次に関する逸話を紹介します。

御普請奉行の大河内肥前守の話では、実父の織田肥後守が御小姓組与頭を勤めていたとき、田沼意次が奥勤めと御小姓組番頭を兼務して相組となった。
意次は奥勤めをしており表での仕事は不案内だったため、織田肥後守が色々差配して仕事を進めた。
意次はそれに感謝し、後に織田肥後守を推挙して小普請支配を命じられることとなった。
肥後守は田沼の元へ赴き、今回の出世を非常に喜んで感謝する旨伝えたところ、意次の顔色が変わった。
意次は、「見損ないましたぞ。あなたは元々大身の旗本。これからどれだけでも上に昇れるのにこの程度の役職で満足するとは。私は将来老中まで昇りつめるつもりです」(当時織田肥後守は三千石、意次はそれ以下の石高だった)
と言い放った。

というもので、その言葉通り田沼は出世しており、初めから大志を抱く者であったとの逸話です。