大坂の陣に関連する逸話・雑学
大坂の陣で大野治長はどうした?~淀殿(茶々)との関係は?
石田三成らの死後代わって大坂城内で発言力を持つようになったのが淀殿の乳母大蔵卿局の子大野治長(大野修理)です。大阪の陣での治長と淀殿との関係について紹介します。
寧々と茶々~北政所と淀殿の関係はどうだったのか?
天下人豊臣秀吉の糟糠の妻であった正室寧々(北政所・高台院)と最寵愛の茶々(淀殿)とはライバル・対立関係にあったといわれてきましたが・・・・・
千姫と坂崎出羽守直盛~大坂城脱出とその後の伝説
大坂夏の陣での落城時に豊臣秀頼の妻千姫を坂崎出羽守直盛が救い出したといわれていますが、二人にまつわる様々な伝説を紹介します。
豊臣秀頼生存伝説~薩摩に落ち延びた?
豊臣秀頼は大阪城で死なずに脱出し、九州で生き延びたとの噂が当時からありました。大名が記録した説などいくつかの生存説がありますが、代表的な伝説を紹介します。
大坂の陣~武田遺臣横田尹松の機知
武田信玄・勝頼に仕えた歴戦の勇士の横田尹松は武田家滅亡後に徳川家康に仕えますが、大阪の陣で家康の側近くに従っていた尹松は・・・
神保相茂隊の惨劇~伊達政宗の非情
大坂夏の陣で神保相茂隊300人は、激戦のさなか突如後方から味方であるはずの伊達政宗軍から・・・
松平忠輝~改易とその後の諏訪での67年
松平忠輝は徳川家康の六男であり、伊達政宗の娘を妻に迎え越後75万石の太守として権勢を振るいましたが、家康死後の元和2年(1616)25歳の時に改易されて、92歳で死ぬまで許されませんでした。
藤堂高虎~築城名手の転職王~藤堂家のその後
藤堂高虎は一生で7回も主君を変え戦国の世を生き抜いたことで知られています。高虎の生涯とその後の藤堂家を簡単に紹介します。
豊臣秀頼の娘~天秀尼の生涯
大阪の陣で豊臣一族は滅亡したと思われがちですが、秀頼の娘が生き残っています。