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平安京での盗賊対策~下級貴族の場合

 京の都は昼は賑やかなものの、日が暮れると静かになり、特に寂れた左京の方は盗賊や追剥がはびこっていました。ある下級貴族の追剥対策について紹介します。

 その官人は残業で遅くなり、牛車に乗って内裏を出たのは夜が更けてからでした。彼の家は治安の悪い左京の端にあり、夜は生きた盗賊から化物の類まで恐れられるようなところにありました。

 案の定、しばらく走っていると、盗賊が数名暗闇から現れ牛車を取り囲みました。盗賊らは車を引く牛飼童を殴りつけたので、童は牛を捨てて逃げ出し、車の後ろに従っていた雑色2,3人も逃げ去ってしまいました。

 盗賊らは悠々と車の前の簾を引き上げたところ、中にいたのは頭に冠、足に足袋だけを付けて素っ裸になっていた男でした。

 盗賊らは驚いて、
「これは何としたことぞ」
と尋ねると、中の男は笏(しゃく)を手に貴人に対応するように、
「はい。東の大宮にてあなた方のようなお方に身ぐるみ剝がされてしまいました」
と恭しく答えたため、
「なんだ、先客があったのか」
と笑いながら盗賊らは去っていったのです。

 実は彼はあらかじめ、牛車内で着ている装束を全部脱いでたたみ、車内の畳の下へ入れ、その上に頭に冠、足に足袋だけを付けて素っ裸になったのです。

 男は声を上げて牛飼童や雑色らを呼び、無事に家に帰り着いたそうです。

 屈強な侍を持たない下級官人は、知恵を絞って自らを守っていたようですね。

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