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家康の鷹狩り

 徳川家康はとにかく鷹狩りが好きであったといいます。鷹狩りは軍事調練にもなるし、民の声を聞く機会にもなると述べています。

 家康の逸話には鷹狩りに関するものがいくつか出てきますが、鷹狩りに関することになると人格まで変わったようで?

ちょっとしたエピソードを紹介します。

 家康が秀忠に将軍職を譲った翌年の慶長11年(1606年)に、郊外の鷹場へ鷹狩りに出かけたところ、禁猟区としていたにもかかわらず、付近の農民達が罠をしかけて鳥を採ろうとしていました。

 問いただすと、麦の芽を野鳥が食べて困るため、関東総奉行の青山忠成、内藤清成の許可を得て野鳥を捕獲していたとのことです。

 なんと、これに家康は激怒し、驚いた秀忠は両名の役を取り上げ謹慎させ、腹を切らせるか本多正信に相談しました。

 さすがにこれは正信が家康の元へ出向き、道理を説いて助命を嘆願したため、家康は怒りを鎮め、謹慎に落ち着いたといいます。

 他の戦国大名に比べて温厚なはず?の家康としてはこわいエピソードです。

 また、鷹狩りは今川人質時代から趣味としており、家康の鷹が隣家に糞を落としていたため度々文句を言われていたそうですが、後にその隣家の主人を切腹させています。やはり鷹狩りが絡むと人格が変わっていますね(*  ̄︿ ̄)

孕石主水と家康~家康の逆恨み!?
天正9年(1581年)、家康が武田方の高天神城を攻略した際、敵方の武将のうち、孕石主水という武将だけ切腹させています。逸話では、主水は家康の今川人質時代に、家康の屋敷の隣に住んでいたそうです。主水の子孫まで含めて紹介します。

 なお、青山家の屋敷があったところが現在の東京の青山で、内藤家の屋敷があったところに作った宿場町が内藤新宿と呼ばれ、現在の新宿となっています。

家康の籠城戦心得とは・・・
家康が述べる籠城の極意とは・・・伏見城を守る鳥居彦右衛門元忠からの便りに家康は・・・・・
家康のどケチ?話
派手好きで大盤振る舞いをしていた秀吉と正反対で、家康は節約家?どケチ?であったといわれています。