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斑鳩平次の意気

 斑鳩平次信好は越後の上杉謙信に仕えていましたが、故あって謙信のもとを去り、その後諸国を放浪していました。

 長年の放浪の後、肥後熊本に至ったのですが、領主加藤清正が平次の武勇を聞き及び、召し抱えようとします。

 清正は平次のもとへ使いを出し、いかほどの禄高を望むか聞かせたのです。

 平次は

「働きもないうちに高禄なぞ望みませぬ。従者4,5人を養える捨扶持を下され。そのうち戦があったとき、大将首を一つ取れば五百石を、二つ取れば千石を戴きたい。御許しあれば喜んでお仕えいたす」

と答えます。

 話を聞いた清正は喜んで二十人扶持を持って平次を召し抱えました。

 やがて朝鮮出兵となり、平次も清正に従って出陣します。そこで早速平次は明の武将の首を二つ取って千石を与えられ、後年の出兵でも又二つの首を取って二千石を与えられるようになったということです。

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