天正13年(1585)年11月29日の夜間、東海・北陸・近畿の広い地域を巨大地震が襲います。京都の三十三間堂の仏像が全て倒れるほど広範囲に影響を及ぼしたといわれます。
この地震によって飛騨高山の帰雲山という山が大崩落を起こします。
帰雲山の麓にはこの地を治める内ケ島(内嶋)家の帰雲城や城下町がありましたが、山津波は丸ごと飲み込んでしまい、城主内ヶ島兵庫頭氏理以下一族家臣と、城下300軒、数百とも千人とも推定される人、牛馬にいたるまでことごとくが埋没してしまったとされています。
一夜にして皆死んでしまったため、帰雲城のことは他地に出向いていて難を逃れた者や高山などにいた親類縁者たちによって伝えられるのみとなり、正確な場所も分かっていません。
城や町は2~3丈(1丈は約3メートル)の土砂に埋もれたといわれています。
当時内ケ島家は富山の佐々成政と結んでおり、秀吉方の金森長近勢が白川に攻め込んできたため氏理は降伏を申し入れ、帰順と本領安堵が認められたことからその祝いの宴の最中であったともいわれます。
一説には内ケ島家は鉱山発掘の技術を持ち室町幕府から重用されていたともいわれ、帰雲城に蓄えられていた金銀も埋没してそのまま埋まっているとの伝説もあります。
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