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上杉謙信の願文~何を願っていた?

 永禄9年(1566)5月、上杉謙信(当時輝虎)が居城春日山の看経所に奉納した願文の内容を紹介します。当時どのような願いを持っていたのか・・・

1 自分の分国である越後、上野、下野、安房何れもが平穏無事で喧嘩口論、無道狼藉、博打、火事等がなく、兵乱など夢にも見ないこと。

2 世間の者が目を見張り手を打つほどの武運功名、知恵才覚、また、自分の近臣だけでなく味方する外様も含めた者の武運長久、息災延命

3 交戦中の北条氏康とは将軍の意に従って和議を結ぶ

4 神仏の力添えを得て、今年の秋には信州、甲州を焼き払い、甲府に自分の旗を立てて武田信玄父子を退治する

5 武田信玄父子を退治、北条氏康と和議し、分国も留守中平穏なまま上洛して筋目を通し諸家と協力、三好・松永一派の首を刎ね、京都公方(将軍)や鎌倉公方を取り立てることができれば、堂舎、仏塔、寺社、神領の興隆をする

 前年の永禄8年(1565)には第13代将軍足利義輝が三好三人衆、松永久秀らに討たれ、当時、後に15代将軍となる足利義秋(義昭)は各地の大名に上洛を助けるよう依頼、上杉、武田、北条にも三国和議を結ぶよう求めていました。

 しかし、武田家は「宿敵」であることに変わりなかったようですね・・・。