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酒井正親の度量

 酒井正親は、徳川家康の祖父松平清康の代から三代に渡っての松平家重臣でした。家康のへその緒も正親が切ったとされています。

 ある時、神谷という侍が家康に召し抱えられたばかりのころ、路地で正親とすれ違った際、礼式に従って挨拶をしたのに、正親がそれに気づかず答礼しないまますれ違ってしまいました。

 神谷は憤慨し、それ以来正親とすれ違っても挨拶しないようになります。

 正親はほっておいたそうですが、それを耳にした家康が正親を呼び、

「神谷がそなたに無礼を働いているそうだな。所領を減じて役職も落とそう」

と言ったそうです。

 すると正親は、

「私は幸いにて御家に重く用いられる身となり、そのため家中の者達は私に礼を尽くしてきます。しかし神谷は心剛の者で、私に媚びてきません。こういった者こそ、御家の一大事のときに忠義を尽くす者でしょう。所領を減じたりするなどもってのほかで、むしろ加増してやるべきです。」

と答え、結局正親の配慮で神谷は500石を加増され1500石となり、足軽大将も任されるようになりました。

 他人から正親の対応を聞いた神谷は感涙に耐えず、正親の元へ赴き日頃の無礼を詫び、数々の戦で活躍したそうです。

 後年、家康も重臣たちにこの正親の話をして、正親のような心を持つように戒めたとされています。

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