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士族の没落

 江戸中期以降、大身の旗本や大名の上級家臣を除く多くの武士は、質素な生活を余儀なくされていました。

 特に軽輩の武士は家禄だけでは生活できず、家族で内職に励み、それが各地特産物発達の一因ともいわれています。

 幕末から維新の動乱の中、物価は高騰し更に家計を圧迫します。更に版籍奉還や廃藩置県、秩禄処分により止めを刺されたのです。

 明治における士族困窮の有様を紹介します。

没落した士族の様子

 兵庫県の報告では、

「事業を営んだ多くの士族は失敗し、自立できたのは十分の一、二に過ぎない」

 岡山県の報告では

「農商に従した者は、慣れない農業に耐えられない者もあり、また騙されて資本を失う者もいる。酷いのは困窮の末罪を犯し罰せられる者もいる」

とされています。更に石川県の報告では

「士族の窮迫は実に甚だしきもので、市街や村落を徘徊して食を乞い、炊き出しの施しを受ける惨状にあるが、絶望のあまり発狂したり自殺する者は少数にとどまり不穏の形跡なし」

とされ、騒ぎを起こすでもなく無気力状態に陥っていたといわれます。

 秩禄処分時に支給された公債についてはいわゆる「士族の商法」で失ってしまう者も多く、かといって商売に手を出さずに何もしないと数年で公債は尽きて家財道具を売り払うことになります。

 没落した士族の行動としては、

・慣れない茶店を出して妻娘に給仕をさせる

・代々伝わる家宝を道端に並べて主人自ら出鱈目な値段で売る

・街頭で人力車を曳く

・妻子を芸娼として売り払う

・屋敷で貸座敷業を始める

といったものが当時報告されています。

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