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織田信長と弥助~戦国の黒人侍

 天正9年(1581)2月、イエズス会の宣教師が織田信長に謁見した際、荷物を担がせた黒人の従者を連れていました。

 その黒人は元々南方から連れてこられた奴隷で、年齢は26,7位で全身牛のように黒く屈強な男であったそうです。(後に弥助を見かけた徳川家臣は「身の丈6尺2寸、黒人男性、身はすみのごとく」と書き残しています)

 好奇心旺盛な信長は早速興味を持ちましたが、とにかくその黒々とした肉体が信じられず、衣服を脱がせて体を入念に洗わせました。

 当然白くなることもなく一層黒色が目立つようになりようやく信長も納得したそうです。

 信長の興味はとどまることなく、早速宣教師と交渉しこの黒人を譲ってもらい自分の家来にしたのでした。

 「弥助」と名付けられたこの黒人は大層信長に気に入られ、帯刀を許され屋敷も与えられるなど、単なる使用人としてでなく侍として信長に仕えたのです。

 弥助はその後も信長の側近くで仕えていましたが、翌天正10年(1582年)に本能寺の変が起こります。

 信長に同道していた弥助も本能寺で攻め寄せる明智勢相手に奮戦し、その後信長の命に従ったのか、近くの二条新御所に居た信長の嫡男信忠の元へ走り信忠に急を告げます。

 信忠の元でも必死に戦いますが、信忠は自刃し弥助も力尽き明智勢に捕らえられてしまいます。

 しかし命は助けられて宣教師の元に送られたようで、その後の消息は分かっていません。

 本能寺の変が起こらなかったら、出自や経歴にこだわらない信長の下で、一角の武将として歴史に名を残したかもしれませんね。


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