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来日宣教師の戦国見聞録~フロイスと信長との初面会

 戦国時代に来日した宣教師の見聞記録は、当時の社会様相を外国人の目で客観的に観察した興味深いものですが、今回はその中から、織田信長による二条御所の再建、そしてルイス・フロイスと信長との初面会について記した部分について紹介します。

信長との面会

(1569年6月 ルイス・フロイス書簡)

 堺にいる我らを庇護する二人の主要人物は、一万五千の兵を擁しており、尾張国主である信長の重臣である佐久間(信盛)殿と和田伊賀守殿である。

 公方様(足利義昭)の信頼が厚いことから諸人から尊敬を受け、信長からも少なからず可愛がられている和田殿を訪問した際、彼は我々を都に戻すことを約束した。

 キリシタン諸人らの評判によれば、和田殿ほど我らのことを理解し助けてくれる異教徒はかつて日本にはいなかったとのことである。

 3月26日、高山飛騨守が我らのための乗馬と護衛の兵を遣わしてきて、和田殿が信長から許可を得て、私を都に招くことになったから支度するようにと伝えてきた。

 2日後我らは都に着いたが、その翌日、和田殿は我らの到着を知ると使いをよこして、適当な時期が来たら私を尾張国主の信長に紹介するので準備を整えておくように、信長からも我らが到着したか尋ねられたと伝えてきた。

 尾張の国主で、別名信長と称する上総殿について若干述べると、この国主は37歳ほどで、背は高く痩せており、髭は少ない。声はよく通り、軍事的なことに深く傾倒しているが粗野である。

 正義と慈悲の行いを好み、尊大で名誉を大事にする。戦術に関してはとても巧みであり、規律や家臣の進言にはほぼ従わず、諸人から極度に畏敬されている。

 酒は飲まず、人の扱いは厳格で、日本の貴族をことごとく見下し、身分の低い者に対するように上から語り掛ける。そして人々は絶対君主に対するように服従する。

 優れた理解力と明晰な判断力を持ち、神仏やあらゆる類の偶像、占いを軽蔑している。名目上、法華宗徒のように見せているが、宇宙の創造者や霊魂の不滅は無く、死後には何も存在しないとの立場を取っている。

 彼は甚だ清潔であり、己の戦略の采配は完璧である。人と話をする時は長い前置きを嫌い、諸侯といえども刀を携えて彼の前に出る事は決して無く、絶えず二千余名の騎馬の小姓を伴っている。

 彼の父は尾張国の領主に過ぎなかったが、彼はここ四年のいとも巧みな策略により十七、八か国を己の支配下に置き、主要な八か国、すなわち都がある山城国全体とその周辺の国々は七、八日で征服した。

 彼は、謀反で討たれた公方様(足利義輝)の兄弟(足利義昭)が救いを求めてきたので、およそ一万の兵を伴って同人を都に入らせた。

 公方様と兵士全員を都内外の僧院に宿泊させ、前公方様の宮殿(二条御所)には二つの甚だ大きな寺院が建てられており、また、彼には継嗣がいなかったので、仏僧であったその兄弟を公方様の地位に就かせることとし、同所にこれまで日本で見たこともないような城を築いた。

 まず彼は、二つの寺院を破壊させて四町四方の地所を得た。そして各地の諸侯と貴族がこの工事に協力してきたので、通常で二万五千人、少ない時でも一万五千人が工事に従事した。

 彼らは皆、カルサン(丈の短いズボン)と革製の短いかバイア(上衣)を身に着け、彼は自ら鍬を携えて現場工事を指揮し、大半の時間は手に竹を持って工事を指図した。

 この工事はかつて日本では見たこともない石造りとしたが、そのための石がなかったので、石の偶像を多数破壊するように命じ、それらの偶像は首に縄を掛けられ、引き摺られて工事現場に運び込まれた。都の人々は偶像を大いに崇拝していたので、このことは彼らに非常な驚きと恐怖をもたらした。

 こうして、領主の一人は兵士と共に毎日、各僧院から石を運び出し、諸人はとにかくひたすら彼を喜ばせ、少しもその意思に反することがないようにしたので、石造りの祭壇を引き出し、仏、すなわち偶像を地に倒して破壊し、これを荷車で運んだ。

 また、他の者は堀を掘り、土を運んだり、山から木を切り出してきたりしたが、これは正しくエルサレムの殿堂の建築などを見るようであった。

 城の外に水をみたした大きな堀を造り、ここに多数の種々の鳥を入れ、幾つか跳ね橋を架けた。壁の高さは6,7ブラザ(一ブラザ約1.8メートル)あり、幅は場所に応じて、6,7,8ブラザであった。

 そこに大層大きな3つの門と石造りの防塁を設け、その内側にも狭い堀と、趣のある日本の庭を造った。内部の造りが精巧かつ清潔であることは言い尽くせない。

 彼は工事が続く間、都の僧院が鐘を鳴らすことを禁じ、城中の鐘のみは人々に工事の始まりと終わりを告げるために鳴らすよう命じた。この鐘が鳴ると諸侯らは皆一様に、各自の手勢を率いて、鍬などを手に取って工事に入る。

 信長は、常に座るための虎の皮を腰に吊るし、甚だ粗末な衣服をまとっており、諸人は彼に倣って同様の皮を携えていたが、宮廷の装束のような衣装で彼の前に現れる者はいなかった。

 工事が続いている間、見物しようと欲する者は男女とも、尻切(しりきれ)と称する藁の草履を履き、頭に帽子を被って彼の前を通った。

 ある時、工事に従事していた一人の兵士が一婦人の顔を見ようとしてその被り物を少し上げるのを信長が目撃し、彼は即座に自らの手で彼の首を斬った。

 この工事に関して最も驚嘆すべきことは、彼がこれを信じ難いほどの短期間で成し遂げたことである。すなわち、少なくとも4,5年を要すると思われる工事をわずか70日間で完了したのである。これは石材工事に関することである。

 信長は、石材工事を終えた後、もし公方様の宮殿を新たに建設するとすれば多くの期間を要し、公方様が速やかに城に移ることができないので、直ちに僧院の座敷や建物を取り壊し、屏風や高価な絵画もろとも、公方様の城に移すことに決めた。

 仏僧らは弾正殿(松永久秀)の元へ行き、信長に取りなしてくれるよう頼んだが、彼は国主(信長)が一旦決定したことは撤回されないので取次ぐつもりはないと答えた。

 都の法華宗徒およそ千五百人は、殿下の望み通りいくらでも金銀を差し出すので僧院に対する侮辱を思いとどまるよう信長に懇願するため参集した。

 彼らは内裏と公方様の元へも入ったが、何の効果もなく僧院が破壊されたので泣き悲しんだ。

 以上は傲慢かつ悪魔の寺院の不幸な出来事であったが、願わくば我らの主なるデウスの思し召しにより彼らの魂が浄化されんことを。

 我らの宿敵である久秀は、和田(惟政)殿が信長を訪問するために私(フロイス)を呼び寄せ、私が都に着いたことを知ると、先手を打って信長に、私が行く所はことごとく騒乱に陥り破壊されるゆえ、私を直ちに追放することをしきりに求めた。

 信長はこれを一笑に付して言った。「お前は一人の者が都に来て、一国の平穏を脅かす原因になると考えるとは、甚だ心が小さい」と。

 彼の機嫌が良くない時に彼に口を出す者も顔を上げる者もいない。

(和田惟政と佐久間信盛の手配により信長に拝謁)

 国主(信長)はその時建設作業に従事しており、堀の橋の上で私(フロイス)を待ち受けた。私は6,7千人を前にして遠くから敬意を表したが、彼は私を側近くに招き、日差しが当たらぬよう私に頭を覆うよう命じた。

 私は金平糖入りのガラス瓶一つと蝋燭数本を贈った。彼は一時間半か二時間ほど私と一緒に居た。

 彼は早速私に質問した。年齢は幾つか、どのくらい前にポルトガルやインドから日本に来たのか、どの位の期間学んだのか、私の両親はポルトガルで私と再会することを望んでいないのか、毎年ヨーロッパのキリスト教国から手紙を受取っているのか、そこからどのくらいの道のりなのか、日本に滞在することを望んでいるのか、であった。

 これらのさほど重要でない前置きの質問が済むと、彼は更に、もしデウスの教えが日本で広まらなかったらインドに帰るのかと問うた。私は、たとえ一人しかキリシタンがいなくとも、その人を維持するためにいずれかの司祭が生涯ここに留まるだろうと答えた。

 彼はまた、なぜゼウスの教えは都で広まらないのかと問い、これにはロレンソが、穀物が成長したとき、棘があまりに多くたちまちその生育を妨げたのだと言い、これにより仏僧らが高貴な人がキリシタンになることを嫌うがゆえに司祭を追放してゼウスの教えが広まるのを防ぐべくあらゆる手段に訴えていることを悟らせ、それゆえに多くの人がキリシタンになる意思を有しながら、このような妨害を見て躊躇するのだと説明した。

 これに対し国主は、仏僧らの恥ずべき生活といとも悪しき習慣について詳しく説き、仏僧らは金銭を奪い肉体を悦ばせることのほか求めていないと言った。

 この返答を機に私は、彼がそのことを一層理解するよう、ロレンソを介して幾度か、殿下は我らが日本において求めているのは名誉や富、その他いかなる俗物ではなく、ただ世界の創造主の教えを広めることであるのをすでに承知されているのに違いなく、殿下は今や日本において最高の権力を有し、娯楽として我々の教えと日本の各宗教を比較することができるから、殿下の威光により宗論を行わせることを懇願するものであり、もし我らが負ければ都から追放すればよく、もし仏僧が負ければ彼らにゼウスの教えを聴くよう強制すべきである。

 これをを求めるのは、こうしないと我らの根拠が有力で明白であることを立証することができず、我らに対する陰謀や嫌悪が止まないからだと述べた。

 彼はこれを聞いて笑い、家臣に向かって、大国からは自ずから大いなる才能と強固な精神が生じるものであると言い、また私に向き直ると、日本の宗教者がこれに応ずるかどうかは分からぬが、今後実現するやもしれぬと語った。