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豊臣秀吉にまつわる逸話・雑学

 今回は、豊臣秀吉にまつわる様々な逸話を紹介します。伝説の類もありますが、秀吉の性格を垣間見ることができるのでは?

5口の太刀

 ある時伏見城の広間で、前田利家、徳川家康、宇喜多秀家、上杉景勝、毛利輝元らが居並び、その傍らに5口の太刀が置かれていました。

 秀吉は置かれた太刀を見て、それぞれの持ち主を簡単に言い当てたそうです。

 利家が驚いて、どうして持ち主が分かったのでしょうかと尋ねると、秀吉は笑って、

・秀家は美麗を好むが故、黄金をちりばめた刀はそれで分かる。

・景勝は父の時より長剣を好むので長いものは景勝のもの。

・利家は若い頃から武功を重ね、今でも昔を忘れぬよう革巻の柄を使っている。

・江戸大納言(家康)は大勇なれば刀に頼る心はなく、取り繕ったりせず飾りもないものに相違ない

と笑って答えたと。実話か創作か分かりませんが、五大老がどのような印象を持たれていたのかが何となく分かりますね。

秀吉と象

 宣教師の記録によると、慶長2年(1597)8月、マニラ総督の使節団が大坂に象を連れてきて秀吉が見物することになりました。

 使節団が城門に到着すると、石田三成と前田玄以が出迎え、城内に案内され、秀吉が当時6歳になる秀頼の手を引いて出てきたため、使節団が丁重に挨拶すると秀吉は使節の労をねぎらったそうです。

 そして秀吉が象に近寄ると、象は象使いの命令で跪いて鼻を頭上に上げ大きく咆哮したので、秀吉は驚いて「どういうことか」と尋ね、「象は既に殿下(秀吉)を知っているのでご挨拶申し上げたのです」と答えられると秀吉は満足し「名前はついているのか」と尋ねます。

 「ドン・ペドロ」との名だと答えられると、秀吉は「ドンペドロ、ドンペドロ」と近寄りながら2度名を呼びます。すると再度象は跪いて挨拶の動作をしたため、秀吉は非常に満足して「さて、さて、さて」と言って何度も拍手したそうです。

 秀吉は「象は何を食べるのか」と尋ね、「与える物は何でも食べます」と答えられると、やがて桃と瓜を盛った二つの盆が運ばれてきて、秀吉が一つの盆を手に取り前に差し出すと、象は鼻でそれを掴み、頭上に一度差し上げて口に入れます。

 残りの物も平らげる間、秀吉は満足そうに象を見て、高い知能を持っていることなどを聞いて興味を持った様子だったそうです。

 その後、使節団は別室で歓待され、後日さらに使節団は城に招かれ、秀吉自ら城内を案内したと記録されています。

秀吉の男色?

 秀吉の小姓であった池田長吉(池田恒興三男)は比類なき美少年であったそうです。ある時秀吉が人のいないところに長吉を呼び寄せ二人きりになったことがありました。

 日頃秀吉は男色を好まないのに、どうしたことだろうと人々は不思議がったそうです。なんのことはない、秀吉は長吉に対し「お前に姉か妹はいるのか?」と聞いていたそうで、長吉の美少年ぶりによるものであったと。(老人雑話)

織田信長と蒲生氏郷

 ある時秀吉が、徳川家康、宇喜多秀家、前田利家、蒲生氏郷、毛利輝元らに対して、織田信長に兵5千、蒲生氏郷に兵1万を付けて合戦するならばどちらに付くかと尋ねます。

何れも返答しかねていると秀吉は、

「それがしならば織田信長に付く。なぜならば、蒲生勢から兜首5つ取るならば氏郷はその中に入っている。織田勢は4千9百まで討ち取られても信長は生き残っている。大将を早く討ち取られた方が負けであるからな」

と言ったといわれます。(武功雑記)

秀吉と源頼朝

 秀吉が鎌倉の鶴岡八幡宮に立ち寄った際、源頼朝の像に対し、

「微小の身で天下を取ったのは我が国において御身と我だけじゃ。だが、御身は清和源氏という高貴な血筋で、源頼義からの代々のおかげで東国に多大な縁があり、流人であったといえども兵を挙げるとみな従ったため天下を取るのに手間はかからなかった。我は系図もないような卑賎の出であるので我の方が勝っているな。まあ、御身と我は天下友達であることに間違いはないな」

といいながら頼朝像の背をポンポンと叩いたといいます。

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