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戦国の女城主1~井伊直虎

 大河ドラマ「おんな城主直虎」で有名になった女城主です。

 直虎は、天文5年(1536)頃に遠江の井伊谷(いいのや)城主井伊直盛の娘として生まれます。直盛に男子が生まれず、従兄弟の直親を直虎の婿として井伊家を継がせる予定だったといわれます。

 しかし、直親の父直満が謀反の疑いにより今川義元に殺され、直親は信濃に身を隠したため、直親との婚姻は流れ、直虎も出家し次郎法師と名乗ります。

 10年ほどの時を経て直親も戻りますが、直虎(次郎法師)が出家していたためか直親は別の女性と婚姻してしまいます(´Д⊂ヽ

 その後、永禄3年(1560)の桶狭間の戦いで今川義元に従っていた父直盛が討死してしまったのです。

 直盛の跡は養子となった直親が継ぎましたが、徳川家康をはじめ今川家を離反する武将が相次いだためか、直親も今川氏真に裏切りを疑われ、永禄5年(1562)誘い出されて謀殺されてしまいます。

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 直親が今川を離反しようとしていたかどうかは分かりませんが、井伊家の領地を狙う家臣の小野道好の讒言によるものといわれています。

 更に、健在であった曾祖父直平も、今川家の命による合戦のさなかで急死してしまいます(今川からの離反を疑ったお田鶴の方から毒殺されたとも)。直親の子虎松(後の井伊直政)はまだ幼く井伊家の跡継ぎがいなかったため、直虎が井伊家の後を継ぐことになったのです。

 この時に還俗して直虎と名乗ったといわれています。井伊谷城主井伊直虎の誕生です。

 しかし、度重なる戦で主な家臣を失っていた井伊家の勢力は衰えており、今川家を後ろ盾に小野道好が井伊谷における勢力を強め、永禄11年(1568)には井伊谷城を道好に奪われ、直虎は家族と共に城を追われてしまいます(>_<)

 その後、勢力を拡大した家康の支援を受けて、直虎は井伊谷三人衆と呼ばれる家臣と共に小野道好を倒して井伊谷を奪い返すことに成功したのです。

 ところが、今度は武田信玄の侵攻を受けて、またもや井伊谷を追われ、家康を頼って落ち延びることとなります。信玄の死後に武田軍が撤退してようやく井伊谷に戻ることができたのでした。

 直虎は虎松(井伊直政)を養育していましたが、天正3年(1575)に15歳となった直政が家康に仕えるようになり、ようやく肩の荷もおりたようです。

 直虎はその後天正10年(1582)にこの世を去ります。一族はことごとく戦乱の中で命を落とし、何度も井伊谷を追われた生涯でしたが、最後は平穏な日々を過ごすことができたのではないでしょうか。

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