戦国時代の主要人物の家系図を作ると、自然と中心に出てきてしまうのがお江の方(崇源院:小督、お江与とも。ここでは「お江の方」に統一します)ですね。
2011年の大河ドラマ「江~姫たちの戦国」では上野樹里さん主演で描かれており、本ブログでも幾度となく登場してきています。
今回はお江の方について、その戦国一?の血縁関係を中心に紹介します。
※以下、色枠内がお江の方との血縁関係になります。
浅井三姉妹の誕生と浅井家の滅亡
お江の方は、いわゆる浅井三姉妹の三女として、父浅井長政、母お市の方の元で天正元年(1573)に近江で生まれました。
まず、父母関係の血縁では、
父方祖父 浅井久政
母方祖父 織田信秀
父 浅井長政
母 お市の方
父方義伯父 京極高吉(長政の姉の夫:四職家京極家当主)
母方伯父 織田信長
母方義伯父 細川昭元(お市の方の姉妹お犬の方の夫:管領家細川家の当主)
長姉 茶々(淀殿)
次姉 初
母方祖父 織田信秀
父 浅井長政
母 お市の方
父方義伯父 京極高吉(長政の姉の夫:四職家京極家当主)
母方伯父 織田信長
母方義伯父 細川昭元(お市の方の姉妹お犬の方の夫:管領家細川家の当主)
長姉 茶々(淀殿)
次姉 初
となりますね。
その後生まれてすぐに伯父信長によって父の浅井家が滅ぼされますが、母と姉二人とともに助けられ生き延びます。
北ノ庄での2度目の落城
本能寺の変で信長が死んだ後に母が柴田勝家に再嫁して越前の北ノ庄城に居を移します。
義父 柴田勝家
天正11年(1583)に勝家の北ノ庄城が秀吉によって攻め落とされ、お江の方も幼いながら二度目の落城を経験します。母お市の方は勝家と共に自害したため、姉二人と共に生き延びることとなったのです。
2度の婚姻と別れ
生き延びたお江の方は、織田信雄に仕えていた従兄弟の佐治一成に嫁ぎますが、秀吉・家康・信雄の争いの中ですぐに離縁させられてしまいます。
その後、天正13年(1585)に秀吉の甥(姉の子)である豊臣秀勝に再嫁し、同時期に長姉淀殿は秀吉の側室、次姉初は京極高次の正室となったのです。
夫 豊臣秀勝
義兄 豊臣秀吉(淀殿の夫)
義兄 京極高次(初の夫:四職家京極家当主)
義兄 豊臣秀吉(淀殿の夫)
義兄 京極高次(初の夫:四職家京極家当主)
お江の方は秀勝との間に娘完子(さだこ)をもうけますが、文禄元年(1592)に秀勝は24歳で病死してしまいます。
なお、完子は後に関白九条幸家の正室となって4男3女を生んでおり、各公卿家や大名家に血脈を残しているほか、現在の皇室にも繋がっています。
娘 豊臣完子
娘婿 九条幸家(関白、左大臣)
娘婿 九条幸家(関白、左大臣)
3度目の婚姻~将軍御台所へ
秀勝の死により未亡人となっていたお江の方は、文禄4年(1595)に後に2代将軍になる徳川秀忠に再嫁します。
6歳下であった秀忠との間には2男5女をもうけたのでした。
長女 千姫(豊臣秀頼正室)
次女 珠姫(加賀藩主前田利常正室)
三女 勝姫(越前藩主松平忠直正室)
四女 初姫(小浜藩主京極忠高正室)
長男 家光(徳川3代将軍)
次男 忠長(駿河大納言(駿府藩主))
五女 和子(後水尾天皇皇后)
次女 珠姫(加賀藩主前田利常正室)
三女 勝姫(越前藩主松平忠直正室)
四女 初姫(小浜藩主京極忠高正室)
長男 家光(徳川3代将軍)
次男 忠長(駿河大納言(駿府藩主))
五女 和子(後水尾天皇皇后)
秀忠との長女である千姫は豊臣秀頼に嫁いでいますので、秀頼は甥(淀殿の子)でもあり娘婿ということになります。
ちなみに、和子の生んだ娘が明正天皇(女性天皇)となっていますので、お江の方は天皇の祖母ということにもなりますね。
大阪の陣では親しい者同士が敵同士となってしまいます。姉淀殿と娘千姫が居る大坂城を徳川軍が攻め立てますが、遠く離れた江戸でお江の方はどのような気持ちでいたのでしょうか?
なお、淀殿が父浅井長政の菩提を弔うために建立した養源院が火災で焼失した際には、お江の方が再建しています(「鳥居元忠と血天井」参照)。
戦国の時代に人生を振り回されたお江の方は、寛永3年(1626)、54歳で死去し、死後従一位を追贈されています。
まだ若い死でしたが、その後の息子家光、忠長の争いを知らずに眠れたのは良かったのかもしれませんね。
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