戦国武将

戦国~江戸初期

天野康景~足軽一人の命を守るため大名の座を捨てた男

天野康景は今川人質時代から家康と行動を共にした徳川譜代の臣で、駿河興国寺藩1万石の大名となりましたが、家臣の足軽一人の命を守るためにその座を捨てた男です。
戦国~江戸初期

戦国の女城主4~立花誾千代

立花誾千代(たちばなぎんちよ)は、有名な立花道雪の一人娘であり立花宗茂を婿に迎えた女性ですが、幼くして立花城の主となっています。
戦国~江戸初期

戦国の女城主3~おつやの方

おつやの方は織田信長の叔母で、夫の死後美濃岩村城の主でしたが、後に武田家臣秋山信友の妻となり、最後には信長から夫共々処刑された女性です。
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戦国~江戸初期

戦国の女城主2~お田鶴の方(椿姫伝説)

お田鶴の方(おたづのかた)は、今川家の家臣で曳馬城主であった飯尾連龍の妻で、夫の死後女城主となって城を守り、最後は徳川家康に攻められて城を枕に壮絶な討死を遂げ、椿姫と呼ばれるようになったと伝わる女性です。
戦国~江戸初期

戦国の女城主1~井伊直虎

大河ドラマ「おんな城主直虎」で有名になった女城主です。一族がことごとく戦乱で命を落とし、幼い跡継ぎの井伊直政を養育しながら井伊谷城主として生き抜いています。
戦国~江戸初期

服部半蔵の真実~伊賀者のその後

服部半蔵は、伊賀忍者の頭領として家康に仕えたと思われていますが、微妙に違います。その後の服部家、伊賀忍者、子孫の話まで含めて紹介します。
戦国~江戸初期

明智光秀生存伝説2~荒深小五郎

明智光秀の生まれ故郷である美濃にも、光秀の生存伝説が残っています。山崎の合戦後生き延びて美濃で暮らし、関ヶ原の戦いに参戦しようとした際に川に溺れてしまったといわれています。
戦国~江戸初期

明智光秀生存伝説1~天海僧正

数多い日本史の伝説の中でも人気のある説です。山崎の戦いの後に落ち武者狩りにあったのは光秀の身代わりで、家康の側近天海僧正となったとの説を簡単に紹介します。
戦国~江戸初期

織田信長と弥助~戦国の黒人侍

天正9年(1581)2月、イエズス会の宣教師が織田信長に謁見した際、荷物を担がせた黒人の従者を連れていました。
戦国~江戸初期

本多正信~家康の謀臣

徳川家康が最も寵愛したものは「雁殿、佐渡殿、お六殿」といわれていました。雁殿は家康が幼少期より好んだ鷹狩り、お六殿は晩年の家康が寵愛した側室の名前、そして佐渡殿が、本多佐渡守正信です。徳川四天王ら歴戦の武功派と異なり、権謀術数で家康の天下取りを支えました。
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