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「関ヶ原の戦い」での島左近~黒田家臣の恐ろしい記憶

石田三成に過ぎたる臣「鬼左近」

 島左近は石田三成の重臣として活躍し、「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」といわれたほどの武将です。

 左近は、「関ヶ原の戦い」で黒田隊を相手に鬼神のごとく奮戦したといわれており、左近と実際に対峙した黒田兵は、戦後数年に渡って「鬼左近」が夢に出てきて苦しんだと伝えられています。

 この記事では、左近が「関ヶ原の戦い」で石田隊を率いて黒田隊と戦った際の『常山紀談』に書かれている黒田兵の記憶を紹介します。『常山紀談』とは、江戸時代中期に成立した逸話集です。

『常山紀談』「関ヶ原合戦島左近討死の事」の記述

長政筑前の国を領せられて後、関ヶ原にて撰に合ひ、長政の側に有りて軍しける人々集りて閑話しけるが、石田が士大将、鬼神をも欺くと言ひける島左近が其日の有様、今も猶目の前に在るが如し、と云ひけるに、其物具の事を言ひ出して更に定かならず。
人々口々に言ひしかば、其軍の頃石田方に有りける士の筑前に仕へけるを、三人呼寄せて問ひければ、左近、冑の立物、朱の天衝、溜塗桶、皮胴の甲に、木綿浅黄の羽織を着たりし、と語る。人々は驚きて、近々と詰寄せたるに見覚えざる事、能狼狽たるよ。口惜き事なり、と云ひしに、其中に取わき剛の者の云ひけるは、見違へたるは我ながらも理哉。
左近が引具したるは皆優りたる物師にて、七十許は柵際に残し三十許左右に立てて、麾を取り下知したるは有様、熟々と案ずるに、三十人許の兵共鎗の合ふべき際にさつと引取り、味方ばらばらと追駆けんを近く引寄せ、七十余人の者共えいえいと声を揚げて突きかかり、手の下に追崩して残りなく討ち捕らんとの手段なりき。
今思ひ出れば誠に身の毛も立ちて汗の出づるなり。斯酒汲交わして、心安き朋友と物語するとは大に異らずや。人々大方目の魂は失ひたるにぞ。若其時横合より鉄炮にて打ちすくめずば、我等が首は左近が鎗に差し貫れなん。見違へたりとて必ずしも恥に非ず、とぞ言ひける。

現代語訳

 黒田長政が筑前国を領して後、関ヶ原で選ばれて長政の側で戦った人々が集まって談話をしていた。一人が「石田の侍大将、鬼神をも欺くといわれた島左近のその日の有様が、今もなお目の前にあるようだ」と言い、その物具の事を言い出したが、はっきりしなかった。
 皆口々に違うことを言うので、関ヶ原の時、石田方にいて、今は黒田家に仕えている侍を三人呼んで問うたところ、「左近の冑(かぶと)の立物は朱の天衝、溜塗桶皮胴の甲(よろい)に木綿浅黄の羽織を着ておりました」と語った。
 人々は驚いて「近々に詰め寄せたというのに見覚えていなかったとは、よほどうろたえていたんだろう。悔しい事だ」と言うと、その中でも特に剛の者が「見違えたのは、我ながらもっともだ。
 左近が率いていたのは皆選りすぐった兵で、七十ばかりを柵際に残し、三十ばかりを左右に立て麾を取り下知していた有様は、じっくり考えてみたら、三十ばかりの兵たちは槍を合わせる際にさっと退き、味方がばらばらと追いかけようとするのを近くに引き寄せて、七十余人の兵がえいえいと声をあげて突きかかり、我等を残らず討ち取る計画だったのだ。
 今思い出しても、誠に身の毛も立ち汗が出る。このように酒を酌み交わして心安い友と物語りするのとは大違いである。皆は大方目の魂をなくしていたのだろう。もしその時横合いから鉄炮で撃ちかけていなかったならば、我等の首は左近の槍に刺し貫かれていたであろう。見違えたとしてもまったく恥ではない。

その他黒田家関係の左近の逸話

「大音あげて下知しける声、雷霆のごとく陣中に響き、敵身方に聞えて耳を驚かしける」『黒田家譜』の記述

「剤を振上げ、懸かれ懸かれといひたる声、今も耳に留りて不便なり。」 『黒田古郷物語』の記述

「島左近と聞けば、今も気分が悪しきぞ。」 『黒田古郷物語』の記述

逸話は本当か?

 以上、「関ヶ原の戦い」における左近が後世に語り継がれた逸話を紹介しました。『常山紀談』は江戸時代中期に成立した逸話集で、信憑性に疑問が持たれている書物ではあります。

 しかし、同じく二次史料ですが、福岡藩主黒田家の公式歴史書である『黒田家譜』の記述にも同様に左近の恐ろしさが伝わっていることから、『常山紀談』の記述も信頼が置けるものではないでしょうか。

 左近は西軍で、しかも石田三成隊を率いていました。江戸時代、三成を貶めることはあっても、なかなか褒めるようなことはなかったでしょう。それにもかかわらず、これだけ左近の勇猛さが敵方(黒田家)から後世に伝わっているということは、よほど恐ろしい目にあったのだと思います。まさしく、「鬼神の如く」です。

 それだけ凄い武将に黒田家は勝ったのだぞという意図もあったとは思いますが、皆が口をそろえて左近は恐ろしかったと伝わっていることが真実ではないでしょうか。

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【参考文献】

『常山紀談』(有朋堂文庫)
『黒田家譜』巻之十一 益軒全集 巻5
『黒田古郷物語』国史研究会

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