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豊臣秀頼の娘~天秀尼の生涯

天秀尼の生涯~秀吉子孫唯一の生き残り

 大阪の陣で豊臣一族は滅亡したと思われがちですが、実は秀頼の娘1人だけが生き残っています。

 妾腹の子で、母の素性はよく分かっていませんが、祖母は淀殿、曾祖母は信長の妹お市の方ということになりますね。

 大坂落城当時7歳で、それまでどこで育てられたのかは分かっていません。

 京極家が捕えて差し出したとなっていますが、京極家には淀殿の妹お初がおり、それを頼ったのを京極家ではかばいきれずに差出したとも。

 女であり千姫(秀頼の妻・徳川家康の孫)の義理の娘ということで特別に命を助けられ、鎌倉の東慶寺に預けられました。その際正式に千姫の養女になったとされています。

 養女といっても12歳差でしたので、娘というよりは幼い妹のような感覚だったのでしょう。

 ちなみに母が同じか不明ですが、年子の兄である国松は8歳でしたが処刑されています。

 娘は出家して天秀尼と名乗るようになり、そのまま東慶寺で暮らすことになります。

 なお、東慶寺は北条時宗夫人の開山と伝わり、南北朝時代に後醍醐天皇の皇女・用堂尼が住持となり、室町時代には鎌倉尼五山第二位とされ、代々関東公方、古河公方、

の娘が住持となる格式高い尼寺です。

 当時の19世住持の瓊山尼けいざんに)も足利一族である小弓公方の娘で、妹の月桂院は秀吉側室、弟の足利頼氏は喜連川(きつれがわ)家として残った名門でした。

 天秀尼はこの瓊山尼を師としてそのまま東慶寺で成長していったのでした。この頃のことはよく分かっていませんが、有名な沢庵和尚に教えを請おうとしていたこともあったようで、真剣に修行に励んでいたことが窺えます。

 寛永16年(1639)に会津40万石の大名であった加藤明成の家老堀主水が明成の非道を訴え脱藩します。戦国の気風が残る荒々しい時代で、主水は一族郎党約三百人を引き連れて、会津を去る際には城に向けて鉄砲を発射していきます。「会津騒動」と呼ばれる事件です。

 激怒した明成は追手を差し向けますが、主水は追手から逃れるため妻を東慶寺に預けたのです。

 追手は妻を引き渡すよう要求しましたが天秀尼は断固として拒否し、養母である千姫を通じて幕府にも訴え、天秀尼側の主張が認められて堀主水の妻たちを守ったと伝わっています。主水の妻は後に実家へ戻り、83歳の天寿を全うしたそうです。

 ちなみに相手方の加藤明成は、天秀尼の祖父豊臣秀吉子飼いの武将賤ケ岳七本槍の一人加藤嘉明の息子ですね。嘉明も明成も大坂城攻めには参加していますが・・・。

 東慶寺は中世以降女性を守る駆け込み寺でしたが、一層評判を高め、幕府も縁切寺としての権利を正式に認めたのです。

 その後天秀尼は東慶寺20世の住持となり、正保2年(1645)に37歳でこの世を去りました。婚姻はしておらず天秀尼の子はいませんでしたので、秀吉の血を引く子孫は絶えたことになります。天秀尼が亡くなった時、千姫はまだ存命であり、天秀尼が亡くなるまで後見していたそうです。

 お市の方も淀殿も、自分の家、家族のためにその生涯を捧げましたが、家、家族のない天秀尼は一般の人々を守ることに生涯を捧げたのではないでしょうか。

なお、幼い頃から天秀尼には甲斐姫が側に従い養母代わりであったとの説もあります。甲斐姫は北条家臣成田氏長の娘で忍城籠城戦で活躍し、後に秀吉の側室となった人で、映画「のぼうの城」では榮倉奈々さんが演じています。

その後の東慶寺~女性の駆け込み寺

 江戸時代後期には、女性側から離婚を主張できる離婚裁判所のような役割を果たすようになりました。

 離婚したい女性が夫から追われてきても、体や身に付けていた物の一部でも寺内に入ると寺から保護されました。

 保護された後は、寺の関係者による調停で離婚する流れとなり、調停が不調に終わっても3年間寺に居れば離婚することができました。

 江戸時代を通じて数千人の女性が助けられたといわれますが、天秀尼の働きが大きく影響していることは間違いありません(*^-^*)

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