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ザビエルが見た戦国時代の日本人とは!?

 フランシスコ・ザビエルはカトリック教会の司祭であり、イエズス会の創設メンバーの一人ですが、ポルトガル王の依頼でインドのゴアに派遣され、そこからマラッカやモルッカ諸島を経て、天文18年(1549)夏に鹿児島に上陸しています。

 その後、日本各地で日本人と深く交わり布教活動を行っていますが、日本人に対してどのような印象を持っていたのでしょうか。耶蘇会史日本通信に記された日本人に関する感想について紹介します。

我々が今日まで交際してきた日本人は、新発見地の中で最良の人で、異教徒の中で日本人より優れた人はいないと思われる。
この国の人は礼節を重んじ、一般に善良で悪心を抱かず、何よりも名誉を大切にすることは驚くべきことである。
国民は一般に貧しいが、武士でも武士でなくても貧窮を恥辱とは思っていない。
彼らの間にはキリスト教諸国には見られないことが一つある。それは、貧しい武士に対しても豊かな庶民が、富裕層に対するがごとき尊敬の念をもっていることだ。
また、貧しくしている武士でも、財産目当てに武士階級の者以外と婚姻することは無い。
互いに礼儀を尽くし、また、武器を珍重し大いに信頼している。貴族も賤民も14歳になれば常に剣及び短剣を帯している。侮辱や軽蔑の言葉には我慢しない。
武士でない者は大いに武士を尊敬している。また、武士は主君に仕えることに喜びを得これに服従している。このようにしなければ名誉を失うと考えている。
民は食物を節制しているが、飲むことに関しては寛容である。日本には葡萄酒がないので米の酒を飲んでいる。
日本人は決して賭博を行わない。賭博をして人の物を欲するようになり盗人に落ちてしまうことを不名誉と考えている。
日本人は誓いを立てることは稀で、それをするときは太陽に対して立てている。
多くの国民が読み書きできるので、すぐにキリスト教の教えを理解することができる。
盗賊は少ないが、もし盗みをして捕まれば死刑になるからだと思われる。日本人は盗みをとても軽蔑している。
この国の人は善良な意思を持ち、よく人と交流して知識を求め、キリスト教の教えをきき、これを理解するととても喜ぶ。
私がいままで見てきた国の中で、キリスト教国、それ以外の国を問わず、日本ほど盗みを憎むところはない。
彼らの多くは太陽を崇拝し、その他の人は月を崇拝する。
日本人は道理に合うことを聞くのを喜び、良くないことを行っていても理由を告げて説明すれば、それをやめることを道理として認める。
一般人の間に罪悪は少なく、仏教の僧侶より道徳心を持っている。

 日本国内の資料では、当時の日本人の性格、習性など当たり前のことはあえて記録されませんので、外国人から見た感想はとても貴重なものだと思います。

 乱世の中で貧しくても、それぞれの階層の人々が道徳心や好奇心を持ち、たくましく生き抜いていたようですね(^_^)

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